海街diary 吉田秋生
現在出回っている版の帯に「スガシカオも号泣」とあったが、私もトシガイもなく(汗)一巻の第一話で、主人公の一人で、複雑な生い立ちから、もちろん良い子なんだけど若干AC気味の女子中学生、「すず」ちゃんが夏の景色の中で泣き崩れるシーンで、鼻水が流れるまで泣いてしまいやした。。。久々のカタストロフィックな号泣でございました。
(ところで、余談ですが、スガさんは最近アニメの主題歌に熱心なようで(ハチクロ以来か(笑))HOLICにしてもテガミバチにしても、結構泣けて、私も年が近いせいか?親近感を持って応援いたしております。。。同世代の感性か?)
バナナフィッシュ以来、いや以前にも、吉田秋生お得意のカートヴォネガット流「拡大家族」の物語である。
父が、友人の借金を背負った上に、女を作って出て行ってしまい、その上、悲嘆に負けて実の母まで、長女が中学時代に実家を去ってしまったという「壊れた」一家を構成する、主人公三姉妹は、鎌倉のとある古いお屋敷に日々平穏に暮らしていた。
そこに、突然、家を去った父が3番目の女の所で突然逝ってしまったとの知らせがとどく。父の想い出を一番に背負いながらも、どうしても素直になれない、姉妹一番のしっかり者で有能なナースである長女幸は、次女佳乃、三女千佳に亡き父の葬式に向かわせる-
二姉妹を出迎えたのは、小柄ながら、中学生とは思えない、異常なしっかり者で父の2番目の女性との間に出来た娘「すず」であった。
普通なら複雑な感情が渦巻きこそすれ、決して理解しあうことなどないだろう、この腹違いの「妹」を、その気持ちを一瞬にし深く理解し、受け止め、新しい「家族」の一員として迎え入れることを速断したのは、なんと、人一倍気が強く、亡き父への感情のわだかまりも深かった(想い出があまりに生々しかった故に)、長女の「幸」そのひとなのであった-
こうして、海辺の美しく落ち着いた古都で、奇妙な腹違いの四姉妹の新しい暮らしが始まる。物語は吉田秋生一流の語り口で、ユーモラスかつ溢れ出さんばかりの叙情性を保ち、様々なエピソードと魅力的な登場人物達を絡ませながら展開していく-
しかし、前作の「ラバーズキッス」も、鼻水ズルズル号泣状態で拝読させていただきましたが、吉田秋生という人は「夢見る頃を過ぎても」「桜の園」のころから、本当に徹底的に造りこんだ中篇の名手だと思う。そのひとつのエッセンスの濃い代表作が「ラバーズキッス」だったと思うのだけれども、今回の海街diaryは、一層に洗練されて肩の力が抜けて(造りこみ感が前面にでていなくて)もう、名人の域で、タメイキが漏れるばかりであります。。。 バナナフィッシュは見事でしたが、やはり吉田秋生は中篇がスゴすぎ~とつくづく思う今日この頃であります。
これからの展開にも超期待いたしております。合掌。
(ところで、余談ですが、スガさんは最近アニメの主題歌に熱心なようで(ハチクロ以来か(笑))HOLICにしてもテガミバチにしても、結構泣けて、私も年が近いせいか?親近感を持って応援いたしております。。。同世代の感性か?)
バナナフィッシュ以来、いや以前にも、吉田秋生お得意のカートヴォネガット流「拡大家族」の物語である。
父が、友人の借金を背負った上に、女を作って出て行ってしまい、その上、悲嘆に負けて実の母まで、長女が中学時代に実家を去ってしまったという「壊れた」一家を構成する、主人公三姉妹は、鎌倉のとある古いお屋敷に日々平穏に暮らしていた。
そこに、突然、家を去った父が3番目の女の所で突然逝ってしまったとの知らせがとどく。父の想い出を一番に背負いながらも、どうしても素直になれない、姉妹一番のしっかり者で有能なナースである長女幸は、次女佳乃、三女千佳に亡き父の葬式に向かわせる-
二姉妹を出迎えたのは、小柄ながら、中学生とは思えない、異常なしっかり者で父の2番目の女性との間に出来た娘「すず」であった。
普通なら複雑な感情が渦巻きこそすれ、決して理解しあうことなどないだろう、この腹違いの「妹」を、その気持ちを一瞬にし深く理解し、受け止め、新しい「家族」の一員として迎え入れることを速断したのは、なんと、人一倍気が強く、亡き父への感情のわだかまりも深かった(想い出があまりに生々しかった故に)、長女の「幸」そのひとなのであった-
こうして、海辺の美しく落ち着いた古都で、奇妙な腹違いの四姉妹の新しい暮らしが始まる。物語は吉田秋生一流の語り口で、ユーモラスかつ溢れ出さんばかりの叙情性を保ち、様々なエピソードと魅力的な登場人物達を絡ませながら展開していく-
しかし、前作の「ラバーズキッス」も、鼻水ズルズル号泣状態で拝読させていただきましたが、吉田秋生という人は「夢見る頃を過ぎても」「桜の園」のころから、本当に徹底的に造りこんだ中篇の名手だと思う。そのひとつのエッセンスの濃い代表作が「ラバーズキッス」だったと思うのだけれども、今回の海街diaryは、一層に洗練されて肩の力が抜けて(造りこみ感が前面にでていなくて)もう、名人の域で、タメイキが漏れるばかりであります。。。 バナナフィッシュは見事でしたが、やはり吉田秋生は中篇がスゴすぎ~とつくづく思う今日この頃であります。
これからの展開にも超期待いたしております。合掌。
惜春 花村萬月
琵琶湖畔の一大歓楽-ソープ街「雄琴」の、まだ「ソープ」が「トルコ」と呼ばれていた頃の物語である。(世事に疎い私は、この話を読んで雄琴のことを知りました(汗))
新宿のキャッチバーで、働いていた童貞の(童貞の学生がキャッチバーで働くかよ!というツッコミはさておいて(笑))主人公、佐山君は、関西風俗業界のヤリ手おやぢの権化のような人物である、栃憲さんにまんまと言いくるめられて、雄琴のトルコのボーイに身を貶められてしまう。そんな中でも、様々な人との交流の中で、逞しくしっかりと世の中のリアリティを掴んでいく-というヨゴレ系のビルディングスロマンの名作である。
ツンデレの女王様のような、美しく可憐な容姿とは裏腹の「オイコラ、テメェ」言葉を連発し、逆上するとクリスタルの灰皿やゴルフクラブやらを振り回す、吹雪嬢の魅力と泣かされる描写は読者を物語りにドップリと引き込むことは必須。 だが、私は、この作品世界にでてくる、登場人物達それぞれの、絶妙な語り口、というかヴォイスそのものにとても感心し引き込まれ、いつも魅了されてしまう。
特に毎年春になると、先輩トルコ・ボーイ丸岡が、女性どころか賭け事にも疎い佐山君を、尼崎の競艇に誘うシーンが秀逸でしみじみと来て、思わず繰り返し読みたくなってしまう-
「尼の競艇は、ええのよ」
「-どう、いいんですか」
「風情」
競艇場に風情なんて、あるのだろうか。しかも尼崎である。行ったことはないが、あるいは具体的な絵が浮かぶわけではないが、なんととなく評判は耳にしている。
「阪神電車に乗ってな」
「はい」
「センタープール前で降りると、こう、なんと言えばええのやろ、引き締まるんや。 きんたまがせりあがる」
「は。きんたま、ね」
丸岡にとって尼こと尼崎行きは聖地巡礼に等しいのかもしれない。
「濃いで。はじめての佐山君にはつらいかもしれんから、特観おごるし」
「はあ」
「多幸焼きにゴボ天つまんでビールでお船遊びを観戦や。これが日本の休日やね」
僕はお船遊びという言葉からなんとなく平安貴族を連想してしまった。それを念頭において言った。
「まるで貴族ですね」
「そうや。それや、貴族の遊びや」
皮肉が通じないのである- (文庫版本文p86~)
新宿のキャッチバーで、働いていた童貞の(童貞の学生がキャッチバーで働くかよ!というツッコミはさておいて(笑))主人公、佐山君は、関西風俗業界のヤリ手おやぢの権化のような人物である、栃憲さんにまんまと言いくるめられて、雄琴のトルコのボーイに身を貶められてしまう。そんな中でも、様々な人との交流の中で、逞しくしっかりと世の中のリアリティを掴んでいく-というヨゴレ系のビルディングスロマンの名作である。
ツンデレの女王様のような、美しく可憐な容姿とは裏腹の「オイコラ、テメェ」言葉を連発し、逆上するとクリスタルの灰皿やゴルフクラブやらを振り回す、吹雪嬢の魅力と泣かされる描写は読者を物語りにドップリと引き込むことは必須。 だが、私は、この作品世界にでてくる、登場人物達それぞれの、絶妙な語り口、というかヴォイスそのものにとても感心し引き込まれ、いつも魅了されてしまう。
特に毎年春になると、先輩トルコ・ボーイ丸岡が、女性どころか賭け事にも疎い佐山君を、尼崎の競艇に誘うシーンが秀逸でしみじみと来て、思わず繰り返し読みたくなってしまう-
「尼の競艇は、ええのよ」
「-どう、いいんですか」
「風情」
競艇場に風情なんて、あるのだろうか。しかも尼崎である。行ったことはないが、あるいは具体的な絵が浮かぶわけではないが、なんととなく評判は耳にしている。
「阪神電車に乗ってな」
「はい」
「センタープール前で降りると、こう、なんと言えばええのやろ、引き締まるんや。 きんたまがせりあがる」
「は。きんたま、ね」
丸岡にとって尼こと尼崎行きは聖地巡礼に等しいのかもしれない。
「濃いで。はじめての佐山君にはつらいかもしれんから、特観おごるし」
「はあ」
「多幸焼きにゴボ天つまんでビールでお船遊びを観戦や。これが日本の休日やね」
僕はお船遊びという言葉からなんとなく平安貴族を連想してしまった。それを念頭において言った。
「まるで貴族ですね」
「そうや。それや、貴族の遊びや」
皮肉が通じないのである- (文庫版本文p86~)
英語秀人列伝 file.3 「『国語はすべての知的活動の基礎』-藤原正彦(数学者)」
以下の文章は、2008年に某弱小翻訳事務所の発行するメールマガジンのために執筆したものです。
******************************
みなさん、こんにちは! しばらくご無沙汰いたしておりました。年末ギリギリまで、
*****のネットワークから創出する「世界一を目指す!」(予定の(笑))オンライ
ン日本語学校のための入門日本語文法テキストのたたき台の執筆に追われておりました。
若き起業同志、****さん(米国の名門大学を卒業された後、米日の超有名企業で財務
関係のお仕事をされてきた方で、なんと!この起業プロジェクトにこれから専念されま
す!)の奮闘により全世界の通貨で決裁できるシステムも整い、**先生から各チーム構
成、今後のスケジュールのアウトライン等が発表され、現場はいよいよ!という機運に満
ちてきております。
メンバーは東京以外はもちろん、海外にも及んでいますので、なかなか一斉に顔合わせ!
というわけには行かないのですが、私もプロジェクトのスタートを前にして、近々上京し
て東京の主要メンバーのみなさんと顔合わせ&作戦会議の予定です。。。と、言いますより、
この記事が配信される頃には、すでに顔合わせは終わって本格的にプロジェクトがスター
トしている頃かと思います。
機会があれば、今回の本当に興味深い海外発信型起業の一部始終の現場の「ナマの声」
をみなさんにお伝えする場を設けたいと思っております。私は大阪在住なのですが、この
プロジェクトの要の一人である**さんと、これから年に数ヶ月は大阪で共同の仕事場で
一緒に仕事をしていくことになりましたので、日欧米を飛び回って仕事をしていくことに
なる氏をゲストに迎えて、おいしいワインでも飲みながら語り合うイベントを大阪梅田(中
崎町)の知り合いのカフェでやってみるのも良いかな~と企んでいます。(ぜひ聞いてみた
い! すごく興味がある!という方は福井までメールください。お待ちいたしております。
あなたのメールがイベントを実現させます~(笑))
さて、また、前置きが長くなってしましました。 今回ご紹介する「英語秀人」はfile.1
の渡部昇一氏に続きまして、アカデミズムからのエントリーですが、今度は理系(数学者)
の藤原正彦氏です。
「理系」と言いましても、近年氏が出された「国家の品格」(新潮新書)が大ベストセラ
ーになりましたので、文系理系を問わず、広く一般の方々にも知られたアカデミシャンの
一人であろうかと思われます。
まずは、氏について簡単に御紹介させていただきますと、氏は作家の新田次郎氏と藤原
てい氏の実子(次男)で満州生まれであります。特に新田次郎氏は多分?私の年代以上(も
うちっと上かな?)の青年達が胸ときめかせて読んだ「山岳小説」作家で、その気象予報
官としての長年の勤務で培われた確かな自然を観る目に裏打ちされた、繊細かつ壮大なス
ケールで物語を畳み掛けていく手法によって、日本でその分野を切り開いた第一人者とし
ての金字塔を打ち立てられた方です。両親ともに一流のアーティストというわけです。
満州生まれの方々に広くみられる、日本人離れしたスケールのデカさととらわれのなさ
に加えて、親譲りのみずみずしい感受性で、歯切れの良い美文を力強く綴る藤原正彦氏は、
数学において一番大事なのは「美的感受性」であると言ってはばかりません。
実際、作品「天才の栄光と挫折」(新潮選書)で3世紀の間解かれることのなかった超難
題「フェルマーの予想」をイギリスの若き天才数学者アンドリュー・ワイルズが孤独の中
で、未踏の高峰を生命をギリギリまで追い詰めて登り詰めるがごとく解決していく様を、
山岳小説家の父親を髣髴とさせるスタイルで描いた文章は、「数学者」というより最高に純
粋なアーティストのそれ以外のなにものでもないという印象を読者に与えます。。。
いや、氏自身が、「数学で一番大事なのは美的感覚」であると言ってはばからず、数学、
文学をはじめとして音楽などにも造詣が深く、まさに「アーティスト」そのものであり、
言語の最も本質的な意味での「教養人」-リベラル・アーツの人であるからこそ、描ける
世界なのでしょう。
リベラル・アーツとは、ギリシャ・ローマ時代からルネッサンスにかけて、本来精神を
限りなく自由な領域に導き、世界の本質に触れさせるための魂の術-文法、修辞学、論理学、
算術、幾何学、天文学、音楽の自由7学科を指しました。本質的な意味において、これら7
科目は究極の目的をひとつにするものであり、けっしてバラバラなものではありません。
神に祝福された世界の最高のメッセージ-「美」-を追い求めるための、どれひとつ欠くこと
のできない知的活動であります。氏の中では「数学者=アーティスト」という図式が何の
矛盾もなく、本当に自然な認識として調和し根付いておられるのであろうと思われます。
そんな、ホンモノの教養人である氏の英語の達人ぶりと、英語のみならず、コトバの本
質にスルドク切り込む奥深い思考を以下御紹介したいと思います。
まずは、氏のみずみずしいコトバとの関わり-英語との格闘の日々の文章を見てみましょ
う。 氏のような秀才でも、大学院終了後29歳で、米国のミシガン大学に国費研究生とし
て招かれて初めて海外の地を踏んだときは、もちろん相応の苦労をされています。デビュ
ー作の「若き数学者のアメリカ」(新潮文庫)のp56によりますと、
「聞き取れない言葉のほとんどは、スペリングを聞いてみると、中学校で習った簡単な
ものだった。 長い単語、たとえば understand とか distinguish などは、どんなに不
注意でいてもそうとしか聞こえない。それに反し、短く易しい単語は、短いがゆえに粗略
に発音され、はなはだ聞き取りにくい。その上、多くの用法があって厄介だ。」
と述べられ、その後、getを用いた動詞句の話になっていくのですが、これなどは、受験
英語、論文英語に慣れて、それなりに英語ができるつもりになっていた日本人に共通の最
初の「通過儀礼」=カルチャー・ショックの典型的な例だと思われます。さらに、その15
年後に1年間の文部省の長期在外研究員制度で、イギリスのケンブリッジ大学に赴任され
たときも、「遥かなるケンブリッジ」(新潮文庫)p17によれば
「・・・(イギリス英語の)テレビニュースを理解できないのは、私自身ショックだった。
(アメリカ英語と)単語の発音や言い回しが少しずつ異なるのはまだよいとしても、リ
ズムが全く異なるのには閉口した。外国語会話をマスターするには、リズムを覚えること
が必要である。リズムを会得すると、相手の言うことにさほど注意を集中しなくとも、意
味がとれるようになる。(中略)母国語なら、全ての人がこの推測を常時働かせている。こ
の推測があるからこそ、相手が話し終えるや、自分の意見を述べることが出来、会話も円
滑に進む。ところがイギリス英語はアメリカ英語漬けになった私には、リズムが違うため、
よく注意しないと英語に聞こえないことさえある。ドイツ語に聞こえることもあった。英
語であることが分っても、よほど耳をそばだてて、一つ一つの単語を聞き取らないと、意
味が分らない。語学的心配のない、ということはイギリスを選んだ大きな理由だったから、
かなり心細くなった。」
と、いったように、今までご紹介した秀人達と同じように、自由に英語を操れるように
なるまでには、やはり、それなりの壁にぶつかっておられます。しかし、そこは、やはり、
常人とは違う、並外れた意思と努力と、もちろん才能も持ち合わせた方ですから、壁を乗
り越えられた後の英語の使い手ぶりには、感嘆すべきものがあります。「遥かなるケンブリ
ッジ」p204によりますと、
「昼食後は皆でコーヒールームに移り、コーヒーかティーを飲みながら、雑談に花を咲
かせたり新聞に目を通したりする。ここでの会話は、分野が違うだけに、誰も肩肘張らず
ざっくばらんで、イギリス紳士の本音を聞くよい機会だった。私も、数学者同士の微妙な
緊張やかけひきを忘れ、サッチャー首相批判の合唱に加わったり、サンスクリットの専門
家と「大唐西域記」について話したり、英文学者と米文学について話したりした。この英
文学者は、
「以前日本から英文学科を訪れた人は興味深かった。チョーサーをすらすら読めるのに、
ほとんど英語を話せなかった」
と皮肉まじりに言った。十四世紀のチョーサーは、私などには英語と判定するにも時間
がかかるほどの代物で、イギリス人でもなかなか読めない。私が間髪を入れずに、
「アーサー・ウェイリーは源氏物語を上手に英訳したが、日本語は話せなかったらしい」
と言ったら、ニッコリうなずいてから、
「よし、あなたの勝ちだ」
と言った。それから彼は、昼食時によく私の隣に坐るようになった。」
このやりとりなんかは、ミーハーの(汗)私は「かっちょいぃ~!!」とまさにトリハ
ダものなのですが、”Are you a Yankee, or a donkey, or a monkey?”と、ボストンで自らを
からかう米国人に素早く切り返した、岡倉天心(英語達人列伝(中公新書)他参照)ばり
のカッチョよさです!「おぬしやるな!」と即座に友愛を示したイギリス人教授も、絵に
描いたようなユーモアを重んじフェアを重んずる英国紳士ぶりでシビレます。(思わず文体
が軽薄になって申し訳ない(汗))上記は同書の中で語られる「かっちょよい!」やりとり
のほんの一例です。
主に「若き数学者のアメリカ」「遥かなるケンブリッジ」の両書に詳しい、氏の英語の使
い手ぶりは上記の通りですが、氏の「祖国とは国語」(新潮文庫)などの一連の著作から、
真の語学達人として活躍するための絶対的基礎条件が浮かび上がってきます。それらは、
1.まずは母国語を重んじ極めよ-それこそがあらゆる知的活動の礎である。2.読書せよ-
教養こそが、その人の視野を広げ、判断力を磨き、コミュニケーションの基礎となる感性-
氏のコトバでは「情緒」-を育むというものです。
このふたつは、*****で、外国語を真に極める-自分の知らない世界に暮らす人々
と交流を深め、自らの人生を本当に豊かなものとすること-ために、ずっと**先生が主張
されてこられた、1、まずは、しっかりと日本語で考え主張できること 2、文法をはじ
めとする座学をまずは大事にすること 3、歴史をはじめとするあらゆる本を読み教養を
深めること-と、ほとんど同じ主張であると言えると思います。
氏の「母国語の重要性」を強調する文章は、「国家の品格」など多数ありますが、ここで
は「祖国とは国語」p15の文章を見てみましょう-
「それ以上に重大なのは、国語が思考そのものと深く関わっていることである。言語は
思考した結果を表現する道具にとどまらない。言語を用いて思考するという面がある。
ものごとを考えるとき、独り言として口に出すか出さないかはともかく、頭の中では誰
でも言語を用いて考えを整理している。例えば好きな人を思うとき、「好感を抱く」「とき
めく」「見初める」「ほのかに想う」「陰ながら慕う」「想いを寄せる」「好き」「惚れる」「一
目惚れ」「べた惚れ」「愛する」「恋する」「片想い」「横恋慕」「相思相愛」「恋焦がれる」「身
を焦がす」「恋煩い」「初恋」「老いらくの恋」「うたかたの恋」など様々な語彙で思考や情
緒をいったん整理し、そこから再び思考や情緒を進めている。これらのうちの「好き」と
いう語彙しか持ち合わせがないとしたら、情緒自身がよほどひだのない直線的なものにな
るだろう。人間はその語彙を大きく超えて考えたり感じたりすることはない、といって過
言でない。母国語の語彙は思考であり情緒なのである。」
非常に明快かつ含蓄の深い文章だと思います。単純な例で考えても、自らの母国語の「キ
メ」の荒い人物が、どうやって外国語の同義語間のニュアンスを判別し、そこから喚起さ
れる感情とメッセージを汲み取ることができましょうか?
「スキ、チョースキ、チョットハスキカモ。。。」といった語彙の持ち主が、いくら発音が
洗練されても、loveとlikeならいざしらず、longing, be devoted toは言うに及ばず have
a passionate affection, adore, cherish, be enamored of などなど。。。の違いを適切に認識
することができましょうか? 母国語のキメの細かい方なら、英単語をもし知らなくとも、
良質の辞書を時間をかけて丁寧に引いて丹念に読み込めば、日本語と概念の重なるところ、
重ならないところ等を即座に認識されて、時間はかかっても、正しく話者もしくは筆者の
メッセージ、および、その描こうとしている感情等の微妙な色彩感の違いにたどりつくこ
とができるはずです。
また、読書と教養についても、同書で氏はこう語られています。(p17)
「読書は過去も現在もこれからも、深い知識、なかんずく教養を獲得するためのほとん
ど唯一の手段である。(中略)
読書は教養の土台だが、教養は大局観の土台である。文学、芸術、歴史、思想、科学と
いった、実用に約立たぬ教養なくして、健全な大局観を持つのは至難である。大局観は日
常の処理判断にはさして有用でないが、これなくして長期的視野や国家戦略は得られない。
日本の危機の一因は、選挙民たる国民、そしてとりわけ国のリーダーたちが大局観を失っ
たことではないか。それはとりもなおさず教養の衰退であり、その底には活字文化の衰退
がある。国語力を向上させ、子供たちを読書に向かわせることができるかどうかに、日本
の再生はかかっていると言えよう。」
達観!-であります。とかく、この国は実学ばかりを重んじて、なんというか、いまいち
真の意味での教養-リベラル・アーツ-に対して無理解というか、重要視しないところがある
と思うのですが、氏のこの文章が、その重要性と、それを育むための手段-読書について簡
潔に明快に言い切っていると思われます。
最後に、「国家の品格」p143 「国際人を育てる」 p147の「外国語よりも読書を」のユー
モアにあふれる二箇所の引用について考えて、今回の駄文の締めくくりといたしたく思い
ます。
「「国際人」と言うと、すぐに「英語」となるのですが、英語と国際人に直接の関係はな
い。ここで言う国際人とは、世界に出て、人間として敬意を表されるような人のことです。
私は高校の頃、英語に圧倒的な自信があって、各種の模擬試験でもしばしば1番とか2
番を取っていました。「俺が日本で一番だ」と信じていました。
ところがアメリカやイギリスへ行ったら、みんな私より英語を上手に話すのでびっくり
しました。そのアメリカやイギリスで、国際人と言える人がどのくらいいるかと言えば、
一割に満たない。せいぜい数%です。英語がいくら出来ても、国際人どころか、お話になら
ないような連中が半分くらいです。小学校でどれだけ英語を教えたところで、国際人にな
れるわけではないということです。」(p143)
「私がことあるごとに「外国語にかまけるな」「若い時こそ名作を読め」と言っているの
は、私自身の取り返しのつかない過去への悔恨もあるからです。(中略)
社会に出てからは、すぐに読むべき本が多すぎて、名作にはなかなか手が伸びない。心
理的余裕もない。名作は学生時代に読めないと一生読めないと考えた方がよい。なのに私
は、余暇を外国語などにうつつを抜かして、その機会を失ってしまったのです。
英語ばかりでなく、中学、高校とドイツ語やフランス語にも精を出し、大学以降はロシ
ア語、スペイン語、ポルトガル語にまで手を出したのです。(中略)
もちろん語学だって出来ないよりは出来た方が遥かに良い。しかし、読書によって培わ
れる情緒や形や教養はそれとは比較にならぬほど大事なのです。」
みなさんは上記の文章をご覧になって、どういう感想を持たれましたか(笑)?
多言語外国語学習を推奨する*****のメルマガに真っ向から対立する内容なので
は?というツッコミが入りそうですが、私はかならずしもそうは思いません。
上記の文章から、まず私が読み取るメッセージは「浅薄な会話中心主義の外国語学習」
への痛烈な批判です。外国語といっても「言語」そのものであるから、まずは、その礎と
なる母国語の思考力と幅広い教養の伴わない、「内容のない」おしゃべり外国語能力は意味
ありませんよ-ということと、思考力と教養を育てる唯一の手段である読書は、早期の外国
語学習などよりも、比較にならないほど重要であるということを主張されていると理解し
ます。
また、少々ナナメから上記の文章を解釈すると(笑)、「若き数学者のアメリカ」で初め
て海外の地を踏む著者が、短期間に驚くべきスピードで会話力を身につけ、2年目にはコロ
ラド大学で助教授として数学の教鞭をとり、学生達と愉快で濃密なコミュニケーションを
展開する様子を読むと、この高い会話力の礎は「各種の模擬試験でもしばしば1番とか2
番を取って」いたという、氏のまじめに英語に取り組んだ座学の成果だと思われます。さ
らに多言語に触れることによって、磨かれた語彙(特にドイツ語、フランス語など)と文
構造を正確に捉える能力が、短期間での驚くべき英語の上達を可能にし、日本の文壇でも
絶賛されている、氏の簡潔にして本質を突きつつ歯切れが良い文体を実現する「日本語力」
の礎になっているのではないか-というのが、私の個人的な意見です。
氏の一連の著作が提起しているテーマで、とりあげてみたいものは、まだまだあります
が、今回はこの辺にしておきましょう。
この「英語秀人列伝」は、個人的には、クビ(涙)にならぬ限り、とりあえずfile.10ま
で、10人の秀人達をご紹介する予定です。そのラインアップは私の中ではほぼ決定いたし
ておりまして、既に執筆させていただいた3回分を含めて、アカデミズムの分野から4人、
ビジネスから4人、語学教育から1人、文学から1人という構成で考えています。これで
第一シリーズ?終了!というわけです。
もし、大変あつかましくも(爆笑)第二シリーズを執筆させていただく機会がございま
したら、ぜひ、もう一度、別の角度から藤原氏をとりあげてみたいと思います。
それでは、今回も長々と拙文にお付き合いくださいまして大変ありがとうございました。
次回は、ビジネス分野からのエントリーで、ハヤリの方!ですが、元外務省勤務、経営コ
ンサルタントの神田昌典氏を取り上げてみたいと思います。また、お目にかかれますこと
を楽しみにいたしております~ それでは~
福井哲也:
大阪外国語大学スワヒリ語学科中退後、渡米。ウィスコンシン大学を経てCollege of the
Atlanticを卒業(B.A.in Human Ecology)。
********
■今回のブックリスト
・藤原正彦 「若き数学者のアメリカ」(新潮文庫)
・ 同 「遥かなるケンブリッジ」(新潮文庫)
・ 同 「祖国とは国語」(新潮文庫)
・ 同 「国家の品格」(新潮新書)
・ 同 「天才の栄光と挫折」(新潮選書)
→以上は本文でとりあげました。特に「国家の品格」は240万部を突破したそうで、
好むと好まざると現代の必読書の一つでしょう。「遥かなるケンブリッジ」は、私は寝る前
に寝床でビールかウィスキー(やはりこの場合はスコッチ系)を呑みつつ読み返すことが
多いのですが、ゆったりとした気分になれます(笑)さらに:
・ 同 「数学者の言葉では」(新潮文庫)
→所蔵の「学問を志す人へ-ハナの手紙」というエッセイが、内容が非常に含蓄があり、
かつ泣けます。これと:
・ 福田和也 「価値ある人生のために-若き友への手紙」(飛鳥新社)
の2冊(上記の本は小学館から文庫化しているようです)と、渡部昇一氏の著作を、
若い方で、何かを模索されている方にはぜひオススメしたいですね~ この3人の著者に
20年前に出会っていれば。。。(タメイキ)(以上脱線でした。失礼)
******************************
みなさん、こんにちは! しばらくご無沙汰いたしておりました。年末ギリギリまで、
*****のネットワークから創出する「世界一を目指す!」(予定の(笑))オンライ
ン日本語学校のための入門日本語文法テキストのたたき台の執筆に追われておりました。
若き起業同志、****さん(米国の名門大学を卒業された後、米日の超有名企業で財務
関係のお仕事をされてきた方で、なんと!この起業プロジェクトにこれから専念されま
す!)の奮闘により全世界の通貨で決裁できるシステムも整い、**先生から各チーム構
成、今後のスケジュールのアウトライン等が発表され、現場はいよいよ!という機運に満
ちてきております。
メンバーは東京以外はもちろん、海外にも及んでいますので、なかなか一斉に顔合わせ!
というわけには行かないのですが、私もプロジェクトのスタートを前にして、近々上京し
て東京の主要メンバーのみなさんと顔合わせ&作戦会議の予定です。。。と、言いますより、
この記事が配信される頃には、すでに顔合わせは終わって本格的にプロジェクトがスター
トしている頃かと思います。
機会があれば、今回の本当に興味深い海外発信型起業の一部始終の現場の「ナマの声」
をみなさんにお伝えする場を設けたいと思っております。私は大阪在住なのですが、この
プロジェクトの要の一人である**さんと、これから年に数ヶ月は大阪で共同の仕事場で
一緒に仕事をしていくことになりましたので、日欧米を飛び回って仕事をしていくことに
なる氏をゲストに迎えて、おいしいワインでも飲みながら語り合うイベントを大阪梅田(中
崎町)の知り合いのカフェでやってみるのも良いかな~と企んでいます。(ぜひ聞いてみた
い! すごく興味がある!という方は福井までメールください。お待ちいたしております。
あなたのメールがイベントを実現させます~(笑))
さて、また、前置きが長くなってしましました。 今回ご紹介する「英語秀人」はfile.1
の渡部昇一氏に続きまして、アカデミズムからのエントリーですが、今度は理系(数学者)
の藤原正彦氏です。
「理系」と言いましても、近年氏が出された「国家の品格」(新潮新書)が大ベストセラ
ーになりましたので、文系理系を問わず、広く一般の方々にも知られたアカデミシャンの
一人であろうかと思われます。
まずは、氏について簡単に御紹介させていただきますと、氏は作家の新田次郎氏と藤原
てい氏の実子(次男)で満州生まれであります。特に新田次郎氏は多分?私の年代以上(も
うちっと上かな?)の青年達が胸ときめかせて読んだ「山岳小説」作家で、その気象予報
官としての長年の勤務で培われた確かな自然を観る目に裏打ちされた、繊細かつ壮大なス
ケールで物語を畳み掛けていく手法によって、日本でその分野を切り開いた第一人者とし
ての金字塔を打ち立てられた方です。両親ともに一流のアーティストというわけです。
満州生まれの方々に広くみられる、日本人離れしたスケールのデカさととらわれのなさ
に加えて、親譲りのみずみずしい感受性で、歯切れの良い美文を力強く綴る藤原正彦氏は、
数学において一番大事なのは「美的感受性」であると言ってはばかりません。
実際、作品「天才の栄光と挫折」(新潮選書)で3世紀の間解かれることのなかった超難
題「フェルマーの予想」をイギリスの若き天才数学者アンドリュー・ワイルズが孤独の中
で、未踏の高峰を生命をギリギリまで追い詰めて登り詰めるがごとく解決していく様を、
山岳小説家の父親を髣髴とさせるスタイルで描いた文章は、「数学者」というより最高に純
粋なアーティストのそれ以外のなにものでもないという印象を読者に与えます。。。
いや、氏自身が、「数学で一番大事なのは美的感覚」であると言ってはばからず、数学、
文学をはじめとして音楽などにも造詣が深く、まさに「アーティスト」そのものであり、
言語の最も本質的な意味での「教養人」-リベラル・アーツの人であるからこそ、描ける
世界なのでしょう。
リベラル・アーツとは、ギリシャ・ローマ時代からルネッサンスにかけて、本来精神を
限りなく自由な領域に導き、世界の本質に触れさせるための魂の術-文法、修辞学、論理学、
算術、幾何学、天文学、音楽の自由7学科を指しました。本質的な意味において、これら7
科目は究極の目的をひとつにするものであり、けっしてバラバラなものではありません。
神に祝福された世界の最高のメッセージ-「美」-を追い求めるための、どれひとつ欠くこと
のできない知的活動であります。氏の中では「数学者=アーティスト」という図式が何の
矛盾もなく、本当に自然な認識として調和し根付いておられるのであろうと思われます。
そんな、ホンモノの教養人である氏の英語の達人ぶりと、英語のみならず、コトバの本
質にスルドク切り込む奥深い思考を以下御紹介したいと思います。
まずは、氏のみずみずしいコトバとの関わり-英語との格闘の日々の文章を見てみましょ
う。 氏のような秀才でも、大学院終了後29歳で、米国のミシガン大学に国費研究生とし
て招かれて初めて海外の地を踏んだときは、もちろん相応の苦労をされています。デビュ
ー作の「若き数学者のアメリカ」(新潮文庫)のp56によりますと、
「聞き取れない言葉のほとんどは、スペリングを聞いてみると、中学校で習った簡単な
ものだった。 長い単語、たとえば understand とか distinguish などは、どんなに不
注意でいてもそうとしか聞こえない。それに反し、短く易しい単語は、短いがゆえに粗略
に発音され、はなはだ聞き取りにくい。その上、多くの用法があって厄介だ。」
と述べられ、その後、getを用いた動詞句の話になっていくのですが、これなどは、受験
英語、論文英語に慣れて、それなりに英語ができるつもりになっていた日本人に共通の最
初の「通過儀礼」=カルチャー・ショックの典型的な例だと思われます。さらに、その15
年後に1年間の文部省の長期在外研究員制度で、イギリスのケンブリッジ大学に赴任され
たときも、「遥かなるケンブリッジ」(新潮文庫)p17によれば
「・・・(イギリス英語の)テレビニュースを理解できないのは、私自身ショックだった。
(アメリカ英語と)単語の発音や言い回しが少しずつ異なるのはまだよいとしても、リ
ズムが全く異なるのには閉口した。外国語会話をマスターするには、リズムを覚えること
が必要である。リズムを会得すると、相手の言うことにさほど注意を集中しなくとも、意
味がとれるようになる。(中略)母国語なら、全ての人がこの推測を常時働かせている。こ
の推測があるからこそ、相手が話し終えるや、自分の意見を述べることが出来、会話も円
滑に進む。ところがイギリス英語はアメリカ英語漬けになった私には、リズムが違うため、
よく注意しないと英語に聞こえないことさえある。ドイツ語に聞こえることもあった。英
語であることが分っても、よほど耳をそばだてて、一つ一つの単語を聞き取らないと、意
味が分らない。語学的心配のない、ということはイギリスを選んだ大きな理由だったから、
かなり心細くなった。」
と、いったように、今までご紹介した秀人達と同じように、自由に英語を操れるように
なるまでには、やはり、それなりの壁にぶつかっておられます。しかし、そこは、やはり、
常人とは違う、並外れた意思と努力と、もちろん才能も持ち合わせた方ですから、壁を乗
り越えられた後の英語の使い手ぶりには、感嘆すべきものがあります。「遥かなるケンブリ
ッジ」p204によりますと、
「昼食後は皆でコーヒールームに移り、コーヒーかティーを飲みながら、雑談に花を咲
かせたり新聞に目を通したりする。ここでの会話は、分野が違うだけに、誰も肩肘張らず
ざっくばらんで、イギリス紳士の本音を聞くよい機会だった。私も、数学者同士の微妙な
緊張やかけひきを忘れ、サッチャー首相批判の合唱に加わったり、サンスクリットの専門
家と「大唐西域記」について話したり、英文学者と米文学について話したりした。この英
文学者は、
「以前日本から英文学科を訪れた人は興味深かった。チョーサーをすらすら読めるのに、
ほとんど英語を話せなかった」
と皮肉まじりに言った。十四世紀のチョーサーは、私などには英語と判定するにも時間
がかかるほどの代物で、イギリス人でもなかなか読めない。私が間髪を入れずに、
「アーサー・ウェイリーは源氏物語を上手に英訳したが、日本語は話せなかったらしい」
と言ったら、ニッコリうなずいてから、
「よし、あなたの勝ちだ」
と言った。それから彼は、昼食時によく私の隣に坐るようになった。」
このやりとりなんかは、ミーハーの(汗)私は「かっちょいぃ~!!」とまさにトリハ
ダものなのですが、”Are you a Yankee, or a donkey, or a monkey?”と、ボストンで自らを
からかう米国人に素早く切り返した、岡倉天心(英語達人列伝(中公新書)他参照)ばり
のカッチョよさです!「おぬしやるな!」と即座に友愛を示したイギリス人教授も、絵に
描いたようなユーモアを重んじフェアを重んずる英国紳士ぶりでシビレます。(思わず文体
が軽薄になって申し訳ない(汗))上記は同書の中で語られる「かっちょよい!」やりとり
のほんの一例です。
主に「若き数学者のアメリカ」「遥かなるケンブリッジ」の両書に詳しい、氏の英語の使
い手ぶりは上記の通りですが、氏の「祖国とは国語」(新潮文庫)などの一連の著作から、
真の語学達人として活躍するための絶対的基礎条件が浮かび上がってきます。それらは、
1.まずは母国語を重んじ極めよ-それこそがあらゆる知的活動の礎である。2.読書せよ-
教養こそが、その人の視野を広げ、判断力を磨き、コミュニケーションの基礎となる感性-
氏のコトバでは「情緒」-を育むというものです。
このふたつは、*****で、外国語を真に極める-自分の知らない世界に暮らす人々
と交流を深め、自らの人生を本当に豊かなものとすること-ために、ずっと**先生が主張
されてこられた、1、まずは、しっかりと日本語で考え主張できること 2、文法をはじ
めとする座学をまずは大事にすること 3、歴史をはじめとするあらゆる本を読み教養を
深めること-と、ほとんど同じ主張であると言えると思います。
氏の「母国語の重要性」を強調する文章は、「国家の品格」など多数ありますが、ここで
は「祖国とは国語」p15の文章を見てみましょう-
「それ以上に重大なのは、国語が思考そのものと深く関わっていることである。言語は
思考した結果を表現する道具にとどまらない。言語を用いて思考するという面がある。
ものごとを考えるとき、独り言として口に出すか出さないかはともかく、頭の中では誰
でも言語を用いて考えを整理している。例えば好きな人を思うとき、「好感を抱く」「とき
めく」「見初める」「ほのかに想う」「陰ながら慕う」「想いを寄せる」「好き」「惚れる」「一
目惚れ」「べた惚れ」「愛する」「恋する」「片想い」「横恋慕」「相思相愛」「恋焦がれる」「身
を焦がす」「恋煩い」「初恋」「老いらくの恋」「うたかたの恋」など様々な語彙で思考や情
緒をいったん整理し、そこから再び思考や情緒を進めている。これらのうちの「好き」と
いう語彙しか持ち合わせがないとしたら、情緒自身がよほどひだのない直線的なものにな
るだろう。人間はその語彙を大きく超えて考えたり感じたりすることはない、といって過
言でない。母国語の語彙は思考であり情緒なのである。」
非常に明快かつ含蓄の深い文章だと思います。単純な例で考えても、自らの母国語の「キ
メ」の荒い人物が、どうやって外国語の同義語間のニュアンスを判別し、そこから喚起さ
れる感情とメッセージを汲み取ることができましょうか?
「スキ、チョースキ、チョットハスキカモ。。。」といった語彙の持ち主が、いくら発音が
洗練されても、loveとlikeならいざしらず、longing, be devoted toは言うに及ばず have
a passionate affection, adore, cherish, be enamored of などなど。。。の違いを適切に認識
することができましょうか? 母国語のキメの細かい方なら、英単語をもし知らなくとも、
良質の辞書を時間をかけて丁寧に引いて丹念に読み込めば、日本語と概念の重なるところ、
重ならないところ等を即座に認識されて、時間はかかっても、正しく話者もしくは筆者の
メッセージ、および、その描こうとしている感情等の微妙な色彩感の違いにたどりつくこ
とができるはずです。
また、読書と教養についても、同書で氏はこう語られています。(p17)
「読書は過去も現在もこれからも、深い知識、なかんずく教養を獲得するためのほとん
ど唯一の手段である。(中略)
読書は教養の土台だが、教養は大局観の土台である。文学、芸術、歴史、思想、科学と
いった、実用に約立たぬ教養なくして、健全な大局観を持つのは至難である。大局観は日
常の処理判断にはさして有用でないが、これなくして長期的視野や国家戦略は得られない。
日本の危機の一因は、選挙民たる国民、そしてとりわけ国のリーダーたちが大局観を失っ
たことではないか。それはとりもなおさず教養の衰退であり、その底には活字文化の衰退
がある。国語力を向上させ、子供たちを読書に向かわせることができるかどうかに、日本
の再生はかかっていると言えよう。」
達観!-であります。とかく、この国は実学ばかりを重んじて、なんというか、いまいち
真の意味での教養-リベラル・アーツ-に対して無理解というか、重要視しないところがある
と思うのですが、氏のこの文章が、その重要性と、それを育むための手段-読書について簡
潔に明快に言い切っていると思われます。
最後に、「国家の品格」p143 「国際人を育てる」 p147の「外国語よりも読書を」のユー
モアにあふれる二箇所の引用について考えて、今回の駄文の締めくくりといたしたく思い
ます。
「「国際人」と言うと、すぐに「英語」となるのですが、英語と国際人に直接の関係はな
い。ここで言う国際人とは、世界に出て、人間として敬意を表されるような人のことです。
私は高校の頃、英語に圧倒的な自信があって、各種の模擬試験でもしばしば1番とか2
番を取っていました。「俺が日本で一番だ」と信じていました。
ところがアメリカやイギリスへ行ったら、みんな私より英語を上手に話すのでびっくり
しました。そのアメリカやイギリスで、国際人と言える人がどのくらいいるかと言えば、
一割に満たない。せいぜい数%です。英語がいくら出来ても、国際人どころか、お話になら
ないような連中が半分くらいです。小学校でどれだけ英語を教えたところで、国際人にな
れるわけではないということです。」(p143)
「私がことあるごとに「外国語にかまけるな」「若い時こそ名作を読め」と言っているの
は、私自身の取り返しのつかない過去への悔恨もあるからです。(中略)
社会に出てからは、すぐに読むべき本が多すぎて、名作にはなかなか手が伸びない。心
理的余裕もない。名作は学生時代に読めないと一生読めないと考えた方がよい。なのに私
は、余暇を外国語などにうつつを抜かして、その機会を失ってしまったのです。
英語ばかりでなく、中学、高校とドイツ語やフランス語にも精を出し、大学以降はロシ
ア語、スペイン語、ポルトガル語にまで手を出したのです。(中略)
もちろん語学だって出来ないよりは出来た方が遥かに良い。しかし、読書によって培わ
れる情緒や形や教養はそれとは比較にならぬほど大事なのです。」
みなさんは上記の文章をご覧になって、どういう感想を持たれましたか(笑)?
多言語外国語学習を推奨する*****のメルマガに真っ向から対立する内容なので
は?というツッコミが入りそうですが、私はかならずしもそうは思いません。
上記の文章から、まず私が読み取るメッセージは「浅薄な会話中心主義の外国語学習」
への痛烈な批判です。外国語といっても「言語」そのものであるから、まずは、その礎と
なる母国語の思考力と幅広い教養の伴わない、「内容のない」おしゃべり外国語能力は意味
ありませんよ-ということと、思考力と教養を育てる唯一の手段である読書は、早期の外国
語学習などよりも、比較にならないほど重要であるということを主張されていると理解し
ます。
また、少々ナナメから上記の文章を解釈すると(笑)、「若き数学者のアメリカ」で初め
て海外の地を踏む著者が、短期間に驚くべきスピードで会話力を身につけ、2年目にはコロ
ラド大学で助教授として数学の教鞭をとり、学生達と愉快で濃密なコミュニケーションを
展開する様子を読むと、この高い会話力の礎は「各種の模擬試験でもしばしば1番とか2
番を取って」いたという、氏のまじめに英語に取り組んだ座学の成果だと思われます。さ
らに多言語に触れることによって、磨かれた語彙(特にドイツ語、フランス語など)と文
構造を正確に捉える能力が、短期間での驚くべき英語の上達を可能にし、日本の文壇でも
絶賛されている、氏の簡潔にして本質を突きつつ歯切れが良い文体を実現する「日本語力」
の礎になっているのではないか-というのが、私の個人的な意見です。
氏の一連の著作が提起しているテーマで、とりあげてみたいものは、まだまだあります
が、今回はこの辺にしておきましょう。
この「英語秀人列伝」は、個人的には、クビ(涙)にならぬ限り、とりあえずfile.10ま
で、10人の秀人達をご紹介する予定です。そのラインアップは私の中ではほぼ決定いたし
ておりまして、既に執筆させていただいた3回分を含めて、アカデミズムの分野から4人、
ビジネスから4人、語学教育から1人、文学から1人という構成で考えています。これで
第一シリーズ?終了!というわけです。
もし、大変あつかましくも(爆笑)第二シリーズを執筆させていただく機会がございま
したら、ぜひ、もう一度、別の角度から藤原氏をとりあげてみたいと思います。
それでは、今回も長々と拙文にお付き合いくださいまして大変ありがとうございました。
次回は、ビジネス分野からのエントリーで、ハヤリの方!ですが、元外務省勤務、経営コ
ンサルタントの神田昌典氏を取り上げてみたいと思います。また、お目にかかれますこと
を楽しみにいたしております~ それでは~
福井哲也:
大阪外国語大学スワヒリ語学科中退後、渡米。ウィスコンシン大学を経てCollege of the
Atlanticを卒業(B.A.in Human Ecology)。
********
■今回のブックリスト
・藤原正彦 「若き数学者のアメリカ」(新潮文庫)
・ 同 「遥かなるケンブリッジ」(新潮文庫)
・ 同 「祖国とは国語」(新潮文庫)
・ 同 「国家の品格」(新潮新書)
・ 同 「天才の栄光と挫折」(新潮選書)
→以上は本文でとりあげました。特に「国家の品格」は240万部を突破したそうで、
好むと好まざると現代の必読書の一つでしょう。「遥かなるケンブリッジ」は、私は寝る前
に寝床でビールかウィスキー(やはりこの場合はスコッチ系)を呑みつつ読み返すことが
多いのですが、ゆったりとした気分になれます(笑)さらに:
・ 同 「数学者の言葉では」(新潮文庫)
→所蔵の「学問を志す人へ-ハナの手紙」というエッセイが、内容が非常に含蓄があり、
かつ泣けます。これと:
・ 福田和也 「価値ある人生のために-若き友への手紙」(飛鳥新社)
の2冊(上記の本は小学館から文庫化しているようです)と、渡部昇一氏の著作を、
若い方で、何かを模索されている方にはぜひオススメしたいですね~ この3人の著者に
20年前に出会っていれば。。。(タメイキ)(以上脱線でした。失礼)
英語秀人列伝 file.2 「『言語係数0.3』-遠藤尚雄(元ファナック常務取締役)
以下の文章は、2008年に某弱小翻訳事務所の発行するメールマガジンのために執筆したものです。
******************************
みなさん、こんにちは!いかがお過ごしでしょうか? *****のメルマガの愛読
者のみなさんのことですから、日々色々と工夫なさって語学の学習に励まれておられるこ
とと思います。
私は、今、*****のネットワークから新しく創出されつつある海外日本発信ビジ
ネスの準備のために、英語で書かれた日本語文法の本と格闘!しているのですが、これが
かなりオモシロイのです!あらためて英語はもちろん、日本語についていろいろと考えさ
せられています。。。 いずれ、別の機会にまとめてお話できればと思うのですが、雑談は
これくらいにして(笑)、今回も創意と工夫に満ちた、先達語学達人の声にみなさんと一緒
に耳を傾けたく思います。
さて、今回、ぜひ、みなさんとご一緒に、その卓越した語学習得のノウハウに耳を傾け
たい英語秀人は、元ファナック取締役、現国際教育研究所所長
(http://www.pasocon-eikaiwa.com/)の遠藤尚雄氏です。氏は昭和3年生まれ今年80歳に
なられる、世界中に日本の工作用ロボットを売って売って売りまくった元国際派ビジネス
マンですが、現在も国際教育研究所を自ら主宰されて、後進のビジネスマン達に「使える」
英語を習得させるべく日夜奮闘されておられます。
その経歴はかなり「異色」で、まず、氏は非常にスクエアな日本のタテ社会の中で、何
回も転職を繰り返されています(デューダやとらばーゆなんてとんでもない!戦前生まれ
の方ですよ!!)。これは「出る杭は打たれる」日本社会でも周りが認めざるを得なかった強
烈な実力の高さを物語っています。 そして、この時代の語学達人にしてはかなりめずら
しく、幼少時から外国語に触れたわけでもなく、ましてや海外育ちでもなく、なんと!49
歳で、GEと富士通の合弁子会社のファナックUSAの初代社長としてシカゴに赴任される
まで一度も海外生活経験がない!!(ましてや留学経験など一度もない)にもかかわらず、
米国のみならずヨーロッパでも現地スタッフを強力に統率されて事業を大成功に導かれた、
まさに「超弩級国際派ビジネスマン」です。
そんな氏が、ありがちなタダの英雄物語に終わることなく、普通の環境で日々努力し続
ける数多の市井の英語学習者達へ発信した素晴らしいメッセージが「英語は独学に限る-独
学英語でロボットを世界に売った男の英語独修術」(主婦の友社)です。
この本の素晴らしいところは、戦後の焼け野原の中から、向学心に燃えた一青年が独学
で英語をモノにし、紆余曲折の苦労を重ねながら世界で大活躍するビジネスマンに成長し
ていく、質の高いビルドゥングス・ロマンとしての読ませる!物語の面白さだけでなく、
そこは、さすがに理系の素養の強い方なので、主観的なモノガタリに終わることなく、他
者-あらゆる環境の下で学習に励んでいる一般人-にも十分移転可能な、英語学習メソッドを
体系的に整理かつ編み上げて、著作の中で明確に提示されておられる点です。
本は二部構成となっていて、前半は、読者の向学心を大いに高揚させる氏の実体験に基
づいたノンフィクション、後半は、氏が整理体系化された英語学習メソッドを短い項目別
に大変読みやすい構成にまとめたものとなっているのですが、前半の部分で提示される、
日本人英語学習者の問題点を鋭く指摘しながらも、大いに勇気付けるための説明の枠組み
が、氏の提唱される「言語係数0.3」という概念です。
氏の英語学習歴は、大阪の旧制府立浪速高等学校(旧制の中高一貫校)入学から始まっ
たと書かれています。この辺は、氏は遠慮?されてあまり詳しく書かれておられませんが、
旧制浪速高校というのは、今で言えば、灘高なみか、それ以上のスーパーエリート校で、
当時は小学校レベルの教育を終了した後、旧制中学(5年制)旧制高校(3年制→これは今
の大学の教養部以上のレベルにあたります)を経て、旧制大学(3年制)に進学するという
学制だったのですが、たしか、旧制浪速と、東京にあったもう一校の「旧制中高一貫校」
の2校のみが、本来旧制中高レベルで8年間かかる教育課程を7年間で修了させて、旧帝
国大学へのパスポートを手中にさせるという、英国のパブリックスクール顔負けの秀才達
の学び舎だったのです。。。
この辺まで書いて、反感を募らせておられる方もおありかと思われますので(笑)前も
って釘を刺して?おきます。
「なんだオマエ!オマエの書いているのは、ただの『スゴイひとはスゴイ~』という話
だけじゃないか!!そんなもん、えんえんと読ませるな!」という怒号が聞こえてきそう
です。。。(汗)
もちろん!日本の社会にありがちな、飛びぬけて優秀な人の足を集団ルサンチマンで引
張って貶めるオロカサを心からケーベツし、スゴイ人はスゴイ!!と素直に尊敬する心が
非常に大事であるとは思いますが、そんな話をしたいのではありません。前回の渡部昇一
氏の話にも通じるのですが、これだけ優秀で努力を惜しまない人でも、語学の学習では、「必
ず」一度は「大きな壁」にぶち当たるのだ!!というお話をしたいのです。
そして、前回の渡辺氏に引き続き、今回の遠藤氏も、自らの力で壁を乗り越えられ、本
当の実力を手にされたからこそ、天狗になることなど微塵もなく、御自分の苦労を赤裸々
に語られ、後進の若者達に惜しみなく、自分が習得したメソッドを公開され、大きく暖か
くおおらかな励ましのメッセージを発しておられます。
。。。と、いうことを、実感を持って読者のみなさまに感じていただきたいために、まず
は、氏の秀才ぶりというか、非常な努力家である一面の紹介から書かせていただいている
というわけです。
さて、もとに戻りまして、「当時は理系科目が得意で、暗記科目が苦手」だったという氏
が、旧制中学4年(今で言えば高1レベルでしょうか)の時に、一念発起されて、まずは
英語の語彙の増強に励まれます。
「英語は独学に限る」p22によれば、16歳の遠藤氏は、8000語の英単語をがんばって暗
記した、とあります。これはかなり優秀な高1生ではないでしょうか?といいますのは、
私の(私は今年40になるオヤジです(汗))大学受験時に英単語は6500語を目標に暗記し
ましょう!と言われていましたし、「大学中級」と言われる英検準1級の出題語彙水準が
7500語レベルとされています。単純に比較することはできませんが、今の感じで言えば遠
藤氏は高校一年生にして、少なくとも語彙水準では現在の英検準1レベル以上に到達して
いたといえると思います。
それくらい英語に力を入れていた遠藤少年は、さらに英語の力をつけるべく、旧制高校2
年(今の18歳ぐらい?)から、進駐軍で使い走りのバイトを始めます。そうこうするうち
に、お父上が亡くなられ、一家を背負うために幸か不幸か?若き遠藤氏は進駐軍でフルタ
イムで働くこととなり、ほとんど英語漬けの日々を送ることになります。そのころの思い
出を氏は語ります。
「さてこれほどまでに始終英語に囲まれているような生活をしていれば、英語で話した
り聞いたりすることは、この段階でもうアメリカ人並みになっただろうと思う人がいるか
もしれない。実は私もそう考えていたのだ。」(p46)
「ところが予想外なことに、私の英語はある程度までいくとそれ以上には伸びなくなっ
てしまったのである。 突然何か思いがけない厚い壁にぶつかったように感じた。その頃
のことを振り返ってみると、(職場で上映される進駐軍人向けの)映画によっては一度見た
だけでは完全に話の筋が追えないことがあった。話が複雑だったり、会話の内容が難しか
ったりすると、どうしても話についていけない。そしてわからないからといっていくら繰
り返し見ても、少しはわかるようになるがそれ以上はわからないのだった。こんなに努力
しているのに。。。自分には英語をマスターする能力や才能がないのかと、がっかりしたり
悩んだりしたものだ。」
。。。まさに、一度でも、英語に限らず外国語と真剣に格闘したことのある方なら、ウン
ウン。。。と、涙を浮かべて(私だけか?)この氏の実感のこもったコトバに引き込まれて
しまうのではないでしょうか。。。ここで、氏の渾身のメッセージが読者に発せられます。
「もしかしたらこの本を読んでいる人の中にも、今の自分がまさにそうだと思い当たる
人がいるかもしれない。もしそういう人がいたらぜひとも教えてあげたい。がっかりしな
くてもよいことを。けっしてあなたの能力が足りないのではないことを。」
氏は続けます。「私はその後いろいろな経験を積むうちにやっとわかったのだが、こうい
う時期は英語習得の課程においては誰でも経験することだったのである。その時期が私に
も訪れただけのことだった。あれほど悩んだりがっかりしたりする必要はなかったのだっ
た。しかし当時はそのことがわからなかった。そのことを教えてくれるような人も周りに
はだれもいなかった。」
この英語習得がある程度進んだレベルで立ちふさがる「厚い壁」「こういう時期」を、氏
は「言語係数0.3レベル」の英語力の状態として表現されておられます。
「『言語係数(Language Coefficient)』というのは何か。これは、私が提唱している言語
能力をはかる指標の一つで、自分の考え方を全部伝えられ、また相手の言うことが一度聞
いただけで全部わかる場合を、言語係数1とする。それに対して言語係数0.3というのは、
3割しか伝えられないし、また3割しか理解できない状態をさしている。言語係数が0.3で
も、相手に言っていることを何度も繰り返してもらったりすれば7割くらいは相手の言う
ことが理解できるだろう。しかし一度では大体3割くらいしかわからない。言語係数0.3
といっても厳密な区分けではないので数字にあまりこだわる必要はないが、私も英語力が
頭打ちになった状態のときは、おそらく言語係数0.3くらいだったろう」
私は、初めて「英語は独学に限る」を読んだ時(立ち読みでピン!ときた後、帰って一
晩で一気に読みましたが(笑))自らの体験に照らして、説得力あるな~(汗)と、恐れ入
ってしまいました。私の英語力がまさに「言語係数0.3+α?」くらいなのです。。。ハズカ
シナガラ。。。
具体的に私の英語力を自己分析するとこうです。研究者や教育の高いネイティブの方と、
自分の専門というか関心の高い分野「に限って」のお話やセミナーをする際に「きちん」と
準備すれば、それなりのコミュニケーションは取れます。ですが、いきなり英語圏のバー
で(呑んだくれなもんでスイマセン(汗))見知らぬ方に世間話をされると、途中からつい
ていけなくなることが多々あります。また、論文や硬い目の英語の文章(ニューヨークタ
イムスなど)はそれなりに読めますが、小説、映画、英語圏の地元の新聞(ウィスコンシ
ンにいた時、図書館にあるニューヨークタイムスはそれなりに読めるのに、地元紙のミル
ウォーキーなんたらかんたらのスポーツ欄や娯楽欄がサッパリわからなくて閉口しまし
た。)などは、お手上げ!状態です。。。う~ナサケナイ。。。
その「言語係数0.3」状態を抜け出すための必殺メソッドとは何か??-それは、ものす
ごくシンプルな結論なのですが、「多読」-つまりは、読んで読んで読みまくれ!ということ
なのです。本質的なことはいつもシンプルなものです。引き続き氏のコトバに耳を傾けて
みましょう-
「私も進駐軍で通訳をやり、生きた英語に浸って話す力や聞く力を付けたが、あるとこ
ろまでくると伸びなくなってしまった。言語係数0.3の段階で止まってしまったのである。
私がそこから抜け出すことができたのは、多読のおかげである。スランプに陥った私は
これまでの勉強方法を改めて、いろいろな本を手当たり次第に読んでいった。向こうの人
でさえ、たとえば大学を出るまでの16年間にさまざまな英語の本を読んできたのだという
ことに考えが至ったからである。」
氏自身は、新制大学に復学された折、生活のために働いていた進駐軍の施設の図書館で
手当たり次第に英書を借り読みまくるという、ツワモノぶりを発揮されるのですが、そこ
は工学系の素養の強い方で、現実を直視されるエンジニア気質の強い方ですから、後進の
英語学習者の若者達にも十分実行可能な素晴らしい提案をされておられます。
それは、アメリカの高校生の教科書をひととおり読むこと-具体的には勤労学生のために
全教育科目を纏めて編集した”High School Subjects Self Taught”という本を手始めに読ん
でみよう!という提案で、氏の主宰されておられる国際教育研究所がアメリカの
Doubleday Companyから版権を得てリプリント版を出しておられます。
「英語圏の教科書(小学校、中学校、高等学校、大学とあわせて16年間分)を読むこと
は、英語の言語係数を限りなく1に近づけるための理想的で効率的な方法ではある。そこ
で紹介したいのが”High School Subjects Self Taught”というアメリカ高等学校の教科書で
ある。(中略)いきなりアメリカの教科を英語で読むことはどうもと思う人もいるかもしれ
ないが、内容は日本の高等学校で習ったことなので、忘れかけたことをもう一度思い出し
て整理するつもりで読むことができる。それにTimeやNews weekなどを読むのに比べる
と、英文もはるかに平易。
「ピサの斜塔」(Leaning Tower of Pisa)ばかりでなく、xの4乗を”x raised to the 4th”
というとか、根を求めることを”extraction of roots”というなど、常識としてはだれでも知
ってはいるが英語ではなかなかパッと浮かんでこないような言葉も、これを読んでいれば
問題は解決されるだろう。」(p190)
といった具合です。究極のミーハー(汗)を自認する私は、早速この本を買い求めまし
た。さいわいなことに大阪のジュンク堂本店で手に入れることができた”High School
Subjects Self Taught”は1500ページ近い、昼寝のマクラにうってつけ?!の大著で圧倒さ
れてしまいました。でも本文は非常に素直で読みやすいです。ポリグロット・フリーク?
にとってひとつだけ非常に残念なのは、この本のp564-729が抜けていて、この部分は「な
お此のリプリントでは『フランス語独習』、『スペイン語独習』、『ラテン語入門』の部分は
日本人には不要と思ったので省きました。」とあります。特にラテン語入門の英語版なんか
読んでみたいのに。。。英語の語彙の増強にも役立つし。。。(←猪浦先生の受け売り)と思う
のは私だけではないのではないかと思います(笑)。
ちなみに、言語係数1になるまでの読書量の目安は、「英語の言語係数1になるまで、目
安としては多読は毎日2時間を5年くらい続けることが必要」だそうです。3500時間の読
書量をひとつの目安にしなさいと遠藤氏は書かれておられます。
ところで、あいかわらず、「勉強するな」だの、「たったこれだけで話せるようになる」
などといった噴飯モノの英語学習書があふれる中、最近、「その英語ネイティブにはこう聞
こえます!」などの切り口のするどい学習本を出してこられたデイビッド・セイン氏が、「英
語は10回読めばものになる!」(サンマーク出版)という良書を出しておられます。その
中でセイン氏も、
「英語をきちんと読みこなすことができるのに、話すことができないという日本人に、
いまだかつて私は出会ったことがありません。(中略)たとえば、中学校3年間で使う教科
書英語の内容量は、ペーパーバック1冊のうちのわずか20ページにすぎないそうです。
たった20ページ読んだだけで、その言語を理解し、話せるようになるとしたら、こんな
に効率よく素晴らしいことはありません。夢のような話です。」
と書いておられます。やっと、遠藤氏の提唱されるような本質的な英語学習法と主張を
同じくする英語学習本が増えてきたようです。私も、おっし!とばかりに洋書バーゲンの
ある際には、おもしろそうなペンギンのペーパーバックを買い込んで、部屋にそれらが“積
読”されています。。。その積読の山がなかなか低くなっていかない(汗)ところに、私の
英語力が言語係数0.3+αから、遅々として進歩しない原因が如実に現れているようです。。。
反省。
前回の渡部昇一氏の時にも書きましたが、私のような凡人は自分のするべきことを淡々
と、コツコツと「やり続ける」のが肝要なようです。読者のみなさんも、おもしろい英語
の本がありましたら、ぜひ私に教えてください!(日本語の本も!)よろしくお願いいた
します。いつか、イギリスあたりのバーでビール片手に、さまざまなバックグランドを持
った知識人達と気楽で飾らないが、深くてスルドイ読書談義を楽しめる。。。そういった姿
を夢想しながら(いつになることやら。。。タメイキ。。。)、辞書片手に歩みはのろくとも(汗)
精進。。。いや楽しんで参りたい所存であります。。。
それでは、今回も駄文にお付き合いくださいましてありがとうございました。次回のテ
ーマはちょいと思案中ですので、メールを開けてのお楽しみ!ということでよろしくお願
いいたします~ それでは、一層充実した学習にお励みください~ また次回よろしくお
願いいたします~お粗末。
福井哲也:
大阪外国語大学スワヒリ語学科中退後、渡米。ウィスコンシン大学を経てCollege of the
Atlanticを卒業(B.A.in Human Ecology)。
********
■今回のブックリスト
・遠藤尚雄 英語は独学に限る (主婦の友社)
→残念ながら、この本の新刊を手に入れることは現在困難なようです。アマゾンで中古
本が手に入るようなのでチェックしてみてください。
・同 英語脳DVD BOOK(主婦の友社)
→遠藤氏は日本人の英語発音矯正にもノウハウ提供されていて、アメリカの日系人が開
発したハミングバードというメソッドを薦めておられます。これも非常に具体的で要チェ
ックです。
・High School Subjects Self Taught (国際教育研究所)
□国際教育研究所URL:http://www.pasocon-eikaiwa.com/
******************************
みなさん、こんにちは!いかがお過ごしでしょうか? *****のメルマガの愛読
者のみなさんのことですから、日々色々と工夫なさって語学の学習に励まれておられるこ
とと思います。
私は、今、*****のネットワークから新しく創出されつつある海外日本発信ビジ
ネスの準備のために、英語で書かれた日本語文法の本と格闘!しているのですが、これが
かなりオモシロイのです!あらためて英語はもちろん、日本語についていろいろと考えさ
せられています。。。 いずれ、別の機会にまとめてお話できればと思うのですが、雑談は
これくらいにして(笑)、今回も創意と工夫に満ちた、先達語学達人の声にみなさんと一緒
に耳を傾けたく思います。
さて、今回、ぜひ、みなさんとご一緒に、その卓越した語学習得のノウハウに耳を傾け
たい英語秀人は、元ファナック取締役、現国際教育研究所所長
(http://www.pasocon-eikaiwa.com/)の遠藤尚雄氏です。氏は昭和3年生まれ今年80歳に
なられる、世界中に日本の工作用ロボットを売って売って売りまくった元国際派ビジネス
マンですが、現在も国際教育研究所を自ら主宰されて、後進のビジネスマン達に「使える」
英語を習得させるべく日夜奮闘されておられます。
その経歴はかなり「異色」で、まず、氏は非常にスクエアな日本のタテ社会の中で、何
回も転職を繰り返されています(デューダやとらばーゆなんてとんでもない!戦前生まれ
の方ですよ!!)。これは「出る杭は打たれる」日本社会でも周りが認めざるを得なかった強
烈な実力の高さを物語っています。 そして、この時代の語学達人にしてはかなりめずら
しく、幼少時から外国語に触れたわけでもなく、ましてや海外育ちでもなく、なんと!49
歳で、GEと富士通の合弁子会社のファナックUSAの初代社長としてシカゴに赴任される
まで一度も海外生活経験がない!!(ましてや留学経験など一度もない)にもかかわらず、
米国のみならずヨーロッパでも現地スタッフを強力に統率されて事業を大成功に導かれた、
まさに「超弩級国際派ビジネスマン」です。
そんな氏が、ありがちなタダの英雄物語に終わることなく、普通の環境で日々努力し続
ける数多の市井の英語学習者達へ発信した素晴らしいメッセージが「英語は独学に限る-独
学英語でロボットを世界に売った男の英語独修術」(主婦の友社)です。
この本の素晴らしいところは、戦後の焼け野原の中から、向学心に燃えた一青年が独学
で英語をモノにし、紆余曲折の苦労を重ねながら世界で大活躍するビジネスマンに成長し
ていく、質の高いビルドゥングス・ロマンとしての読ませる!物語の面白さだけでなく、
そこは、さすがに理系の素養の強い方なので、主観的なモノガタリに終わることなく、他
者-あらゆる環境の下で学習に励んでいる一般人-にも十分移転可能な、英語学習メソッドを
体系的に整理かつ編み上げて、著作の中で明確に提示されておられる点です。
本は二部構成となっていて、前半は、読者の向学心を大いに高揚させる氏の実体験に基
づいたノンフィクション、後半は、氏が整理体系化された英語学習メソッドを短い項目別
に大変読みやすい構成にまとめたものとなっているのですが、前半の部分で提示される、
日本人英語学習者の問題点を鋭く指摘しながらも、大いに勇気付けるための説明の枠組み
が、氏の提唱される「言語係数0.3」という概念です。
氏の英語学習歴は、大阪の旧制府立浪速高等学校(旧制の中高一貫校)入学から始まっ
たと書かれています。この辺は、氏は遠慮?されてあまり詳しく書かれておられませんが、
旧制浪速高校というのは、今で言えば、灘高なみか、それ以上のスーパーエリート校で、
当時は小学校レベルの教育を終了した後、旧制中学(5年制)旧制高校(3年制→これは今
の大学の教養部以上のレベルにあたります)を経て、旧制大学(3年制)に進学するという
学制だったのですが、たしか、旧制浪速と、東京にあったもう一校の「旧制中高一貫校」
の2校のみが、本来旧制中高レベルで8年間かかる教育課程を7年間で修了させて、旧帝
国大学へのパスポートを手中にさせるという、英国のパブリックスクール顔負けの秀才達
の学び舎だったのです。。。
この辺まで書いて、反感を募らせておられる方もおありかと思われますので(笑)前も
って釘を刺して?おきます。
「なんだオマエ!オマエの書いているのは、ただの『スゴイひとはスゴイ~』という話
だけじゃないか!!そんなもん、えんえんと読ませるな!」という怒号が聞こえてきそう
です。。。(汗)
もちろん!日本の社会にありがちな、飛びぬけて優秀な人の足を集団ルサンチマンで引
張って貶めるオロカサを心からケーベツし、スゴイ人はスゴイ!!と素直に尊敬する心が
非常に大事であるとは思いますが、そんな話をしたいのではありません。前回の渡部昇一
氏の話にも通じるのですが、これだけ優秀で努力を惜しまない人でも、語学の学習では、「必
ず」一度は「大きな壁」にぶち当たるのだ!!というお話をしたいのです。
そして、前回の渡辺氏に引き続き、今回の遠藤氏も、自らの力で壁を乗り越えられ、本
当の実力を手にされたからこそ、天狗になることなど微塵もなく、御自分の苦労を赤裸々
に語られ、後進の若者達に惜しみなく、自分が習得したメソッドを公開され、大きく暖か
くおおらかな励ましのメッセージを発しておられます。
。。。と、いうことを、実感を持って読者のみなさまに感じていただきたいために、まず
は、氏の秀才ぶりというか、非常な努力家である一面の紹介から書かせていただいている
というわけです。
さて、もとに戻りまして、「当時は理系科目が得意で、暗記科目が苦手」だったという氏
が、旧制中学4年(今で言えば高1レベルでしょうか)の時に、一念発起されて、まずは
英語の語彙の増強に励まれます。
「英語は独学に限る」p22によれば、16歳の遠藤氏は、8000語の英単語をがんばって暗
記した、とあります。これはかなり優秀な高1生ではないでしょうか?といいますのは、
私の(私は今年40になるオヤジです(汗))大学受験時に英単語は6500語を目標に暗記し
ましょう!と言われていましたし、「大学中級」と言われる英検準1級の出題語彙水準が
7500語レベルとされています。単純に比較することはできませんが、今の感じで言えば遠
藤氏は高校一年生にして、少なくとも語彙水準では現在の英検準1レベル以上に到達して
いたといえると思います。
それくらい英語に力を入れていた遠藤少年は、さらに英語の力をつけるべく、旧制高校2
年(今の18歳ぐらい?)から、進駐軍で使い走りのバイトを始めます。そうこうするうち
に、お父上が亡くなられ、一家を背負うために幸か不幸か?若き遠藤氏は進駐軍でフルタ
イムで働くこととなり、ほとんど英語漬けの日々を送ることになります。そのころの思い
出を氏は語ります。
「さてこれほどまでに始終英語に囲まれているような生活をしていれば、英語で話した
り聞いたりすることは、この段階でもうアメリカ人並みになっただろうと思う人がいるか
もしれない。実は私もそう考えていたのだ。」(p46)
「ところが予想外なことに、私の英語はある程度までいくとそれ以上には伸びなくなっ
てしまったのである。 突然何か思いがけない厚い壁にぶつかったように感じた。その頃
のことを振り返ってみると、(職場で上映される進駐軍人向けの)映画によっては一度見た
だけでは完全に話の筋が追えないことがあった。話が複雑だったり、会話の内容が難しか
ったりすると、どうしても話についていけない。そしてわからないからといっていくら繰
り返し見ても、少しはわかるようになるがそれ以上はわからないのだった。こんなに努力
しているのに。。。自分には英語をマスターする能力や才能がないのかと、がっかりしたり
悩んだりしたものだ。」
。。。まさに、一度でも、英語に限らず外国語と真剣に格闘したことのある方なら、ウン
ウン。。。と、涙を浮かべて(私だけか?)この氏の実感のこもったコトバに引き込まれて
しまうのではないでしょうか。。。ここで、氏の渾身のメッセージが読者に発せられます。
「もしかしたらこの本を読んでいる人の中にも、今の自分がまさにそうだと思い当たる
人がいるかもしれない。もしそういう人がいたらぜひとも教えてあげたい。がっかりしな
くてもよいことを。けっしてあなたの能力が足りないのではないことを。」
氏は続けます。「私はその後いろいろな経験を積むうちにやっとわかったのだが、こうい
う時期は英語習得の課程においては誰でも経験することだったのである。その時期が私に
も訪れただけのことだった。あれほど悩んだりがっかりしたりする必要はなかったのだっ
た。しかし当時はそのことがわからなかった。そのことを教えてくれるような人も周りに
はだれもいなかった。」
この英語習得がある程度進んだレベルで立ちふさがる「厚い壁」「こういう時期」を、氏
は「言語係数0.3レベル」の英語力の状態として表現されておられます。
「『言語係数(Language Coefficient)』というのは何か。これは、私が提唱している言語
能力をはかる指標の一つで、自分の考え方を全部伝えられ、また相手の言うことが一度聞
いただけで全部わかる場合を、言語係数1とする。それに対して言語係数0.3というのは、
3割しか伝えられないし、また3割しか理解できない状態をさしている。言語係数が0.3で
も、相手に言っていることを何度も繰り返してもらったりすれば7割くらいは相手の言う
ことが理解できるだろう。しかし一度では大体3割くらいしかわからない。言語係数0.3
といっても厳密な区分けではないので数字にあまりこだわる必要はないが、私も英語力が
頭打ちになった状態のときは、おそらく言語係数0.3くらいだったろう」
私は、初めて「英語は独学に限る」を読んだ時(立ち読みでピン!ときた後、帰って一
晩で一気に読みましたが(笑))自らの体験に照らして、説得力あるな~(汗)と、恐れ入
ってしまいました。私の英語力がまさに「言語係数0.3+α?」くらいなのです。。。ハズカ
シナガラ。。。
具体的に私の英語力を自己分析するとこうです。研究者や教育の高いネイティブの方と、
自分の専門というか関心の高い分野「に限って」のお話やセミナーをする際に「きちん」と
準備すれば、それなりのコミュニケーションは取れます。ですが、いきなり英語圏のバー
で(呑んだくれなもんでスイマセン(汗))見知らぬ方に世間話をされると、途中からつい
ていけなくなることが多々あります。また、論文や硬い目の英語の文章(ニューヨークタ
イムスなど)はそれなりに読めますが、小説、映画、英語圏の地元の新聞(ウィスコンシ
ンにいた時、図書館にあるニューヨークタイムスはそれなりに読めるのに、地元紙のミル
ウォーキーなんたらかんたらのスポーツ欄や娯楽欄がサッパリわからなくて閉口しまし
た。)などは、お手上げ!状態です。。。う~ナサケナイ。。。
その「言語係数0.3」状態を抜け出すための必殺メソッドとは何か??-それは、ものす
ごくシンプルな結論なのですが、「多読」-つまりは、読んで読んで読みまくれ!ということ
なのです。本質的なことはいつもシンプルなものです。引き続き氏のコトバに耳を傾けて
みましょう-
「私も進駐軍で通訳をやり、生きた英語に浸って話す力や聞く力を付けたが、あるとこ
ろまでくると伸びなくなってしまった。言語係数0.3の段階で止まってしまったのである。
私がそこから抜け出すことができたのは、多読のおかげである。スランプに陥った私は
これまでの勉強方法を改めて、いろいろな本を手当たり次第に読んでいった。向こうの人
でさえ、たとえば大学を出るまでの16年間にさまざまな英語の本を読んできたのだという
ことに考えが至ったからである。」
氏自身は、新制大学に復学された折、生活のために働いていた進駐軍の施設の図書館で
手当たり次第に英書を借り読みまくるという、ツワモノぶりを発揮されるのですが、そこ
は工学系の素養の強い方で、現実を直視されるエンジニア気質の強い方ですから、後進の
英語学習者の若者達にも十分実行可能な素晴らしい提案をされておられます。
それは、アメリカの高校生の教科書をひととおり読むこと-具体的には勤労学生のために
全教育科目を纏めて編集した”High School Subjects Self Taught”という本を手始めに読ん
でみよう!という提案で、氏の主宰されておられる国際教育研究所がアメリカの
Doubleday Companyから版権を得てリプリント版を出しておられます。
「英語圏の教科書(小学校、中学校、高等学校、大学とあわせて16年間分)を読むこと
は、英語の言語係数を限りなく1に近づけるための理想的で効率的な方法ではある。そこ
で紹介したいのが”High School Subjects Self Taught”というアメリカ高等学校の教科書で
ある。(中略)いきなりアメリカの教科を英語で読むことはどうもと思う人もいるかもしれ
ないが、内容は日本の高等学校で習ったことなので、忘れかけたことをもう一度思い出し
て整理するつもりで読むことができる。それにTimeやNews weekなどを読むのに比べる
と、英文もはるかに平易。
「ピサの斜塔」(Leaning Tower of Pisa)ばかりでなく、xの4乗を”x raised to the 4th”
というとか、根を求めることを”extraction of roots”というなど、常識としてはだれでも知
ってはいるが英語ではなかなかパッと浮かんでこないような言葉も、これを読んでいれば
問題は解決されるだろう。」(p190)
といった具合です。究極のミーハー(汗)を自認する私は、早速この本を買い求めまし
た。さいわいなことに大阪のジュンク堂本店で手に入れることができた”High School
Subjects Self Taught”は1500ページ近い、昼寝のマクラにうってつけ?!の大著で圧倒さ
れてしまいました。でも本文は非常に素直で読みやすいです。ポリグロット・フリーク?
にとってひとつだけ非常に残念なのは、この本のp564-729が抜けていて、この部分は「な
お此のリプリントでは『フランス語独習』、『スペイン語独習』、『ラテン語入門』の部分は
日本人には不要と思ったので省きました。」とあります。特にラテン語入門の英語版なんか
読んでみたいのに。。。英語の語彙の増強にも役立つし。。。(←猪浦先生の受け売り)と思う
のは私だけではないのではないかと思います(笑)。
ちなみに、言語係数1になるまでの読書量の目安は、「英語の言語係数1になるまで、目
安としては多読は毎日2時間を5年くらい続けることが必要」だそうです。3500時間の読
書量をひとつの目安にしなさいと遠藤氏は書かれておられます。
ところで、あいかわらず、「勉強するな」だの、「たったこれだけで話せるようになる」
などといった噴飯モノの英語学習書があふれる中、最近、「その英語ネイティブにはこう聞
こえます!」などの切り口のするどい学習本を出してこられたデイビッド・セイン氏が、「英
語は10回読めばものになる!」(サンマーク出版)という良書を出しておられます。その
中でセイン氏も、
「英語をきちんと読みこなすことができるのに、話すことができないという日本人に、
いまだかつて私は出会ったことがありません。(中略)たとえば、中学校3年間で使う教科
書英語の内容量は、ペーパーバック1冊のうちのわずか20ページにすぎないそうです。
たった20ページ読んだだけで、その言語を理解し、話せるようになるとしたら、こんな
に効率よく素晴らしいことはありません。夢のような話です。」
と書いておられます。やっと、遠藤氏の提唱されるような本質的な英語学習法と主張を
同じくする英語学習本が増えてきたようです。私も、おっし!とばかりに洋書バーゲンの
ある際には、おもしろそうなペンギンのペーパーバックを買い込んで、部屋にそれらが“積
読”されています。。。その積読の山がなかなか低くなっていかない(汗)ところに、私の
英語力が言語係数0.3+αから、遅々として進歩しない原因が如実に現れているようです。。。
反省。
前回の渡部昇一氏の時にも書きましたが、私のような凡人は自分のするべきことを淡々
と、コツコツと「やり続ける」のが肝要なようです。読者のみなさんも、おもしろい英語
の本がありましたら、ぜひ私に教えてください!(日本語の本も!)よろしくお願いいた
します。いつか、イギリスあたりのバーでビール片手に、さまざまなバックグランドを持
った知識人達と気楽で飾らないが、深くてスルドイ読書談義を楽しめる。。。そういった姿
を夢想しながら(いつになることやら。。。タメイキ。。。)、辞書片手に歩みはのろくとも(汗)
精進。。。いや楽しんで参りたい所存であります。。。
それでは、今回も駄文にお付き合いくださいましてありがとうございました。次回のテ
ーマはちょいと思案中ですので、メールを開けてのお楽しみ!ということでよろしくお願
いいたします~ それでは、一層充実した学習にお励みください~ また次回よろしくお
願いいたします~お粗末。
福井哲也:
大阪外国語大学スワヒリ語学科中退後、渡米。ウィスコンシン大学を経てCollege of the
Atlanticを卒業(B.A.in Human Ecology)。
********
■今回のブックリスト
・遠藤尚雄 英語は独学に限る (主婦の友社)
→残念ながら、この本の新刊を手に入れることは現在困難なようです。アマゾンで中古
本が手に入るようなのでチェックしてみてください。
・同 英語脳DVD BOOK(主婦の友社)
→遠藤氏は日本人の英語発音矯正にもノウハウ提供されていて、アメリカの日系人が開
発したハミングバードというメソッドを薦めておられます。これも非常に具体的で要チェ
ックです。
・High School Subjects Self Taught (国際教育研究所)
□国際教育研究所URL:http://www.pasocon-eikaiwa.com/
英語秀人列伝 file.1 「『知的正直』-渡部昇一(英語学)」
以下の文章は、2008年に某弱小翻訳事務所の発行するメールマガジンのために執筆したものです。
******************************
まず、はじめに、しばらく個人的な話を延々と書かせていただきます。どうぞ、半ば呆
れながら?気楽にお読みくだされば幸いです。
私は英語が未だにロクに読めません(汗)。ましてや話せません(泣)。アメリカから帰
ってきた時(著者プロフィール下記参照)「オレはアメリカの大学を卒業したのに、何でこ
んなに英語ができへんのやろかぁ~」とかなり深刻に悩み、ノイローゼには至らなかった
ものの、かなり体の調子がおかしくなってしまった始末でした。
ですが、今は開き直っております(笑)。と、いうより非常にお気楽になって「できなく
て当たり前」「できないから、がんばって少しづつでも英語という全く異文化の世界の深み
に踏み込んで行けるようになっていくのが快感!」ととても前向きに思えるようになりま
した。そういう思いに深いレベルで納得させて導いてくれたのが渡部昇一氏の一連の著作
です。
恥を忍んで、みっともないお話で申し訳ないのですが、私の個人的体験を具体的に書か
せていただきます。マエフリが長くて申し訳ないのですが、結論を実感を持って受け入れ
ていただくために少々ガマンしてお付き合いください。
私は1990年に2年間通った大阪外大(専攻はスワヒリ語。人類学とか哲学に興味があっ
たのです。)を中退し、当時のTOEFLを受験して91年の冬に渡米し、最初に州立のウィ
スコンシン大学に編入しました。
当時のTOEFLは今のIBTなんかと違いまして非常に単純で、セクションⅠがリスニン
グ、セクションⅡが文法、セクションⅢがリーディングで、それぞれの偏差値が算出され、
それらを合計し最後に×10して(つまりは小数点以下第一位までを得点に反映しましょう
という意図らしい)総合点が算出される-というものでした。たとえば、リスニング偏差値
50、文法偏差値50、リーディング偏差値50という具合であれば、50+50+50を3で割っ
て×10というわけで500点というわけです。当時は今から考えればまだまだ牧歌的な時
代?で、平均的な州立大学の学部に入学or編入したければ500以上、大学院なら550以上、
ハーバードなんかのアイヴィーリーグ系に行きたいヤツは600以上というのが、大まかな
基準でした。
さて、私はといえば、いきなり中退して(本当に能天気だ)初めて受けたTOEFLが確か、
530ぐらいだったかと思います。2回目の結果は今も手元にあるのですが、567でした。リ
スニング50、文法63、リーディング57という、まさに「おぬし、典型的な受験英語育ち
の日本人よのぉ~」という感じの点数でした。当時のウィスコンシン大学の学部の入学基
準が確か525かなんかでしたので、早速エッセイその他をデッチ上げてアプリケーション
を出すと、実にスムーズ(この辺はアメリカの大学はほんと親切)に入学許可がでました。
この顛末を、大阪外大の英語科の友人達に話すと(2年で辞めたのですが、友人だけは多
かった(笑))「え~すご~い!ふくちゃん!英語専門にやってなくって、帰国子女でもな
いのに2回目で550以上取れたんだぁ~!」と褒めていただき、単純な私は結構イイ気に
なってしまったのでした。「よし、これで『会話』なんつうもんは向こうに行けばなんとか
なるであろうからして、渡米までは読書とバイトじゃぁ~!!」と、アホな私は軍資金稼
ぎのための土方と好きな読書三昧で明け暮れて、そのまま渡米してしまったのでした・・・
これが、渡米してからの2年半(アメリカの大学は本当に『官僚的』というのと対極の
親切なところで(だから世界中の学生が学びに来れるんですね~)大阪外大の単位をまる
まる全部認めてくれたんですね。それでウィスコンシン大学半年、それからトランスファ
ーしたヒッピー系大学2年で、2年半で学士号出ました。)苦しみに苦しみ抜きました。い
や、ほんと、おおげさでなくてです。なんとか卒業はしたものの、完全に英語に対する自
信を失って帰国の途につきました。1993年の6月でした。
もともと、知と実践の間の緊張関係のある領域で活躍したかったことから、陶芸の修行
の後、山奥でエコロジーの現代的コンミューンを創ってやろうと画策し、ニクタイロウド
ウと趣味の「日本語の」読書に明け暮れ、すっかり英語とご無沙汰する日々が10年近く続
いていました。時々、CNNニュースなんかを見ても聞き取れない部分の方が多いし、TIME
なんかは辞書なしでは絶対に読めません。「オレは英語に関しては本当に才能がないの
だ・・・」と、英語に関しては完全に自信を失くし避け続ける日々でした・・・
そんな日々が過ぎ去るなか、あるきっかけからTOEICを受けてみよう!と思いたち、
2003年にTOEICを受験しました。何冊か問題集を買い込み、ヒマな時間にこなしている
うちに次々とギモンが浮かび上がってきました-「エーTOEFLヨリ、エライ内容ノナイ試験
ダナー・・・コンナンデ『ツカエル』英語力ガ判定デキルノカシラン・・・」などなど・・・
ですが、受験してそれなりの点数が出る前に、そういうことを言うのはクダラナイ評論家
根性ですから、まずは受験してみることといたしました。
結果は910点でした。英語から全く離れて10年以上過ぎていたので、逆に私は驚きまし
た。「え~こんな私が900点以上いただいてよろしいのですかぁ~???」という具合です。
アメリカの大学を卒業してTOEIC910点と履歴書に書けば、なにも知らない方々(という
か、語学に縁のない方々)は「をを!英語は完璧ですね!」と思ってくださるかもしれま
せん・・・ですが、自分のことは自分自身がよおおおく知っております。私は英語ができ
ません。未だに英語がロクに読めません。辞書なしでは全く完全に完璧にツカイモノのツ
の字にもなりません。まさに世界の中心でオレは叫ぶ-オレはなんでこんなに英語ができな
いんだぁ~!!!・・・失礼いたしました(汗)。
・・・本当に長いマエフリでした・・・ 読者のみなさんの中には、本当に英語がよく
判っておられる方々もおられると思います。そうした方々は「ふふっ」と嗤っておられる
に違いありません。そうなんです。当たり前なんですよね。たった2年半英語漬になった
くらいで「英語ができる」ようにはならないのです・・・よほどの才能の持ち主でない限
り・・・
それにTOEICという試験って本当にアテにならないんですよね。TOEICの試験スコアと
英語力が矛盾しないのは、私の経験上、以下のようなひとだけです。つまり①全くTOEIC
用の勉強をしないでいきなり受験して②スコア950以上-こういう方なら、私のようなパチ
モン(関西弁でニセモノの意)と違って、信頼のできる英語力の持ち主であることが多い
です。以前にお会いした英字新聞記者の本当にキレイなオネエサマがそういった方でした。
そのひと曰く「あんまり簡単だから満点だと思ったのに、950点台でガッカリした。」との
ことでした。本当にすごいですよね・・・ガックリ・・・(没)
おっと、また、方向性を見失いそうになってしまいました!私は別に、英語の壁の険し
さを強調したくてこんな駄文を書いているのではないのです。ここからやっと本題です。
渡部昇一氏は、その著作で「二十年かけて英語の本の面白さを体得した。」と、実に正直
にご自身の著作で語っておられます(楽しい読書生活:ビジネス社刊)
氏には、ベストセラーとなった「知的生活の方法(講談社現代新書)」という本があるの
ですが、なんで私は、これを渡米前、いや、大阪外大を中退して留学の準備を始めた頃に
読まなかったかなぁ~と、この本を読んだ時に地団駄踏んで悔しがりました。これを若か
りし頃に読めば、あんな「下らない」落ち込み方をせずに、かなり豊かで良い関係を「英
語」との間につくることができたのに・・・と心底思いました。まさに「オレの20年間を
返せ~!!」という感じです。
渡部氏は実に正直かつ誠実に、自身と英語との日々を淡々とユーモラスに一連の著作で
語ります。この語り口、生きる上、学問上の姿勢を氏自ら「知的正直」であること-自分を
ごまかさないこと-と「知的生活の方法」の冒頭で書かれておられます。
氏の英語に対する「知的正直」ぶりは、「楽しい読書生活」により詳しく、生き生きと描
かれておりますので、ぜひ、みなさんにもご一読をお薦めいたします。氏は上智大学の英
文科をトップの成績で卒業し、ドイツで英語学の博士号を取られたバリバリの超一級のイ
ンテリであることは周知のところですが、その氏が、なんの気負いもなく、実にアッケラ
カンとオックスフォード留学時代のことを書いておられます。
「むずかしい専門書を読むことにかけては、指導教授のドブソン先生にもそう引け目を
感じないほどでしたが、しかし向うの学生たちのようにサッと新聞や雑誌を取り上げてサ
サッと読むことはできませんでした。」また、「ところがオックスフォードへ行ってから、
ある日、妙なことに気づきました。それは、少年時代に『真田幸村』や『三国志物語』を
読んで覚えた深い感動-あれに似た感動を英語の本から受けたことがないということでした。
考えてみれば、それも当然です。当時の私は辞書を引きながら英語の本を読んでいたわけ
ですから感激もヘッタクレもありません。」といった具合です。
私は氏の正直さにいたく感動いたしました。怪しげなヤツほど偉そうにふんぞり返り、
本当に自信があり自己研鑽を怠らない人ほど謙虚である、という私自ら生きてきて実感し
てきた人間観を見事に証明してくれる、ステキな文章に出会えて本当に嬉しかったのです。
実に「正直」な氏は、日本に帰ってからタイムやニューズウィークを買ってまめに単語帳
をつくるといった地味な努力を重ねて、まずは、それらの雑誌や新聞を「ササッと読める」
ようになられたのでした。
氏の「知的正直」さは当然、そこでは踏みとどまりません、「今度は、英語の詩や小説や
ノンフィクションを読んで心が揺さぶられるような経験をしたことがないことに気づいた
のです。これではまだ英語を自分のものとしたとはいえない。」というわけで、フルブライ
トで招聘されたアメリカで、講義をする以外の時間に、とことんアメリカの通俗小説を乱
読しまくります。それこそエロからミステリーまで手当たり次第に読みまくって、ついに
「その日」がやってきます。それは、ハーマン・ウォークという作家のマージョリー・モ
ーニングスターという作品との出会いでした。「ところがこれが、読みはじめたら面白くて
面白くてどんどん進みます。何日かかけて数百ページ読み通し、最後のほうになるとあま
りにも面白くて息がつまってきました。体がガクガク震えるほどで、これはもうとても読
んではいられないと思ったので、ちょっと風呂に入ってひと息ついてから最後の数十ペー
ジを一挙に読み終えました。」というわけです。
氏は言っておられます。「十八歳で上智大学の英文科に入学して、ちょうど二十年後。つ
まりは私は二十年かけて英語で読書のほんとうの面白さを知ったことになります。」
私は、このことばを読んで、深く感動し今までのヘンな英語に対する劣等感から解放さ
れると共に、ものごとの深みをしっかりと見極めずに性急におめでたい結果のみを求める
自分の浅ましい性根を深く恥じました。英語達人レベルの渡部氏をして、情念のレベルで
英語を捕らえるのに二十年かかったわけです。凡人の私には、下らないことに悩まず、日々
コツコツとテキストを少しづつでも、辞書を引き引きでも、読み続けること-そう、「続ける」
ことが一番大切なのだなぁと・・・
これは語学以外にも通じる普遍的な真理だと思います。下らない見栄を張ってコンプレ
ックスまみれになるのではなく、正直に自分のレベルと弱点を見極め、その時その時、自
分のするべきことを淡々とコツコツとやっていく-そうすれば、浅ましい評論家の出来損な
いのような連中には絶対に決して一生味わうことのできない、あふれんばかりの深い感動
のある世界に行き着くことができる-渡部氏の気負いのない文章からは非常に説得力を持っ
てそういったメッセージが伝わってきます。
やっと、私もちょっとだけ、地に足が着いてきたかな、という感じがする今日この頃で
す。私はアホなので、非常に多くの失敗を重ね、多くの代償を支払わねばなりませんでし
たが、若い読者の方々には、ぜひ、渡部氏の本を読まれて人生の糧としていただきたく思
います。私と同年代、もしくはそれ以上の読者の方々も、もう一度自分に「正直」になっ
てじっくり確実に歩んでいこうではありませんか・・・英語でも日本語でも実にコトバの
世界は奥深く感動に満ち溢れているのですから、これをトコトン味わい尽くさない手はあ
りません!本当に!!
それでは第一回目はこの辺で、次回も、引き続き関連したテーマで書かせていただこう
と思います。次回登場の秀人は遠藤尚雄(元ファナック常務取締役)、キーワードは「言語
係数」の予定です。乞うご期待!またね~!!
********
■今回のブックリスト
・渡部昇一 知的生活の方法 (講談社現代新書)
・同 楽しい読書生活 (ビジネス社)
・同 発想法(PHP研究所)→知的生活の方法の続編という感じ。現在手に入りや
すく非常にためになります。
・同 わたしの人生観・歴史観(PHP研究所)→氏の知的活動のガイドブックとい
う感じ。まずはこれから読むのも良いかもしれません。
********
■著者プロフィール
福井哲也 1968年大阪生まれ 大阪外大2年次中退、渡米。ウィスコンシン大学を経て、
東部海岸の離島にある環境学専門のヒッピー系の大学(College of the Atlantic)を卒業
(B.A.in Human Ecology)。在学中アーカンソー州にて有機農業インターン。帰国後、自ら
の考えるエコロジー的ライフスタイルを実践しようと岡山県工業技術センター備前陶芸セ
ンターにて陶芸を学び、和歌山県山中に工房を構え8年ほどもがくが挫折。その後、大阪
高槻市のNPO法人の専務理事などを3年ほど務めるが、こちらも問題噴出で退任。
懲りない能天気中年♪
******************************
まず、はじめに、しばらく個人的な話を延々と書かせていただきます。どうぞ、半ば呆
れながら?気楽にお読みくだされば幸いです。
私は英語が未だにロクに読めません(汗)。ましてや話せません(泣)。アメリカから帰
ってきた時(著者プロフィール下記参照)「オレはアメリカの大学を卒業したのに、何でこ
んなに英語ができへんのやろかぁ~」とかなり深刻に悩み、ノイローゼには至らなかった
ものの、かなり体の調子がおかしくなってしまった始末でした。
ですが、今は開き直っております(笑)。と、いうより非常にお気楽になって「できなく
て当たり前」「できないから、がんばって少しづつでも英語という全く異文化の世界の深み
に踏み込んで行けるようになっていくのが快感!」ととても前向きに思えるようになりま
した。そういう思いに深いレベルで納得させて導いてくれたのが渡部昇一氏の一連の著作
です。
恥を忍んで、みっともないお話で申し訳ないのですが、私の個人的体験を具体的に書か
せていただきます。マエフリが長くて申し訳ないのですが、結論を実感を持って受け入れ
ていただくために少々ガマンしてお付き合いください。
私は1990年に2年間通った大阪外大(専攻はスワヒリ語。人類学とか哲学に興味があっ
たのです。)を中退し、当時のTOEFLを受験して91年の冬に渡米し、最初に州立のウィ
スコンシン大学に編入しました。
当時のTOEFLは今のIBTなんかと違いまして非常に単純で、セクションⅠがリスニン
グ、セクションⅡが文法、セクションⅢがリーディングで、それぞれの偏差値が算出され、
それらを合計し最後に×10して(つまりは小数点以下第一位までを得点に反映しましょう
という意図らしい)総合点が算出される-というものでした。たとえば、リスニング偏差値
50、文法偏差値50、リーディング偏差値50という具合であれば、50+50+50を3で割っ
て×10というわけで500点というわけです。当時は今から考えればまだまだ牧歌的な時
代?で、平均的な州立大学の学部に入学or編入したければ500以上、大学院なら550以上、
ハーバードなんかのアイヴィーリーグ系に行きたいヤツは600以上というのが、大まかな
基準でした。
さて、私はといえば、いきなり中退して(本当に能天気だ)初めて受けたTOEFLが確か、
530ぐらいだったかと思います。2回目の結果は今も手元にあるのですが、567でした。リ
スニング50、文法63、リーディング57という、まさに「おぬし、典型的な受験英語育ち
の日本人よのぉ~」という感じの点数でした。当時のウィスコンシン大学の学部の入学基
準が確か525かなんかでしたので、早速エッセイその他をデッチ上げてアプリケーション
を出すと、実にスムーズ(この辺はアメリカの大学はほんと親切)に入学許可がでました。
この顛末を、大阪外大の英語科の友人達に話すと(2年で辞めたのですが、友人だけは多
かった(笑))「え~すご~い!ふくちゃん!英語専門にやってなくって、帰国子女でもな
いのに2回目で550以上取れたんだぁ~!」と褒めていただき、単純な私は結構イイ気に
なってしまったのでした。「よし、これで『会話』なんつうもんは向こうに行けばなんとか
なるであろうからして、渡米までは読書とバイトじゃぁ~!!」と、アホな私は軍資金稼
ぎのための土方と好きな読書三昧で明け暮れて、そのまま渡米してしまったのでした・・・
これが、渡米してからの2年半(アメリカの大学は本当に『官僚的』というのと対極の
親切なところで(だから世界中の学生が学びに来れるんですね~)大阪外大の単位をまる
まる全部認めてくれたんですね。それでウィスコンシン大学半年、それからトランスファ
ーしたヒッピー系大学2年で、2年半で学士号出ました。)苦しみに苦しみ抜きました。い
や、ほんと、おおげさでなくてです。なんとか卒業はしたものの、完全に英語に対する自
信を失って帰国の途につきました。1993年の6月でした。
もともと、知と実践の間の緊張関係のある領域で活躍したかったことから、陶芸の修行
の後、山奥でエコロジーの現代的コンミューンを創ってやろうと画策し、ニクタイロウド
ウと趣味の「日本語の」読書に明け暮れ、すっかり英語とご無沙汰する日々が10年近く続
いていました。時々、CNNニュースなんかを見ても聞き取れない部分の方が多いし、TIME
なんかは辞書なしでは絶対に読めません。「オレは英語に関しては本当に才能がないの
だ・・・」と、英語に関しては完全に自信を失くし避け続ける日々でした・・・
そんな日々が過ぎ去るなか、あるきっかけからTOEICを受けてみよう!と思いたち、
2003年にTOEICを受験しました。何冊か問題集を買い込み、ヒマな時間にこなしている
うちに次々とギモンが浮かび上がってきました-「エーTOEFLヨリ、エライ内容ノナイ試験
ダナー・・・コンナンデ『ツカエル』英語力ガ判定デキルノカシラン・・・」などなど・・・
ですが、受験してそれなりの点数が出る前に、そういうことを言うのはクダラナイ評論家
根性ですから、まずは受験してみることといたしました。
結果は910点でした。英語から全く離れて10年以上過ぎていたので、逆に私は驚きまし
た。「え~こんな私が900点以上いただいてよろしいのですかぁ~???」という具合です。
アメリカの大学を卒業してTOEIC910点と履歴書に書けば、なにも知らない方々(という
か、語学に縁のない方々)は「をを!英語は完璧ですね!」と思ってくださるかもしれま
せん・・・ですが、自分のことは自分自身がよおおおく知っております。私は英語ができ
ません。未だに英語がロクに読めません。辞書なしでは全く完全に完璧にツカイモノのツ
の字にもなりません。まさに世界の中心でオレは叫ぶ-オレはなんでこんなに英語ができな
いんだぁ~!!!・・・失礼いたしました(汗)。
・・・本当に長いマエフリでした・・・ 読者のみなさんの中には、本当に英語がよく
判っておられる方々もおられると思います。そうした方々は「ふふっ」と嗤っておられる
に違いありません。そうなんです。当たり前なんですよね。たった2年半英語漬になった
くらいで「英語ができる」ようにはならないのです・・・よほどの才能の持ち主でない限
り・・・
それにTOEICという試験って本当にアテにならないんですよね。TOEICの試験スコアと
英語力が矛盾しないのは、私の経験上、以下のようなひとだけです。つまり①全くTOEIC
用の勉強をしないでいきなり受験して②スコア950以上-こういう方なら、私のようなパチ
モン(関西弁でニセモノの意)と違って、信頼のできる英語力の持ち主であることが多い
です。以前にお会いした英字新聞記者の本当にキレイなオネエサマがそういった方でした。
そのひと曰く「あんまり簡単だから満点だと思ったのに、950点台でガッカリした。」との
ことでした。本当にすごいですよね・・・ガックリ・・・(没)
おっと、また、方向性を見失いそうになってしまいました!私は別に、英語の壁の険し
さを強調したくてこんな駄文を書いているのではないのです。ここからやっと本題です。
渡部昇一氏は、その著作で「二十年かけて英語の本の面白さを体得した。」と、実に正直
にご自身の著作で語っておられます(楽しい読書生活:ビジネス社刊)
氏には、ベストセラーとなった「知的生活の方法(講談社現代新書)」という本があるの
ですが、なんで私は、これを渡米前、いや、大阪外大を中退して留学の準備を始めた頃に
読まなかったかなぁ~と、この本を読んだ時に地団駄踏んで悔しがりました。これを若か
りし頃に読めば、あんな「下らない」落ち込み方をせずに、かなり豊かで良い関係を「英
語」との間につくることができたのに・・・と心底思いました。まさに「オレの20年間を
返せ~!!」という感じです。
渡部氏は実に正直かつ誠実に、自身と英語との日々を淡々とユーモラスに一連の著作で
語ります。この語り口、生きる上、学問上の姿勢を氏自ら「知的正直」であること-自分を
ごまかさないこと-と「知的生活の方法」の冒頭で書かれておられます。
氏の英語に対する「知的正直」ぶりは、「楽しい読書生活」により詳しく、生き生きと描
かれておりますので、ぜひ、みなさんにもご一読をお薦めいたします。氏は上智大学の英
文科をトップの成績で卒業し、ドイツで英語学の博士号を取られたバリバリの超一級のイ
ンテリであることは周知のところですが、その氏が、なんの気負いもなく、実にアッケラ
カンとオックスフォード留学時代のことを書いておられます。
「むずかしい専門書を読むことにかけては、指導教授のドブソン先生にもそう引け目を
感じないほどでしたが、しかし向うの学生たちのようにサッと新聞や雑誌を取り上げてサ
サッと読むことはできませんでした。」また、「ところがオックスフォードへ行ってから、
ある日、妙なことに気づきました。それは、少年時代に『真田幸村』や『三国志物語』を
読んで覚えた深い感動-あれに似た感動を英語の本から受けたことがないということでした。
考えてみれば、それも当然です。当時の私は辞書を引きながら英語の本を読んでいたわけ
ですから感激もヘッタクレもありません。」といった具合です。
私は氏の正直さにいたく感動いたしました。怪しげなヤツほど偉そうにふんぞり返り、
本当に自信があり自己研鑽を怠らない人ほど謙虚である、という私自ら生きてきて実感し
てきた人間観を見事に証明してくれる、ステキな文章に出会えて本当に嬉しかったのです。
実に「正直」な氏は、日本に帰ってからタイムやニューズウィークを買ってまめに単語帳
をつくるといった地味な努力を重ねて、まずは、それらの雑誌や新聞を「ササッと読める」
ようになられたのでした。
氏の「知的正直」さは当然、そこでは踏みとどまりません、「今度は、英語の詩や小説や
ノンフィクションを読んで心が揺さぶられるような経験をしたことがないことに気づいた
のです。これではまだ英語を自分のものとしたとはいえない。」というわけで、フルブライ
トで招聘されたアメリカで、講義をする以外の時間に、とことんアメリカの通俗小説を乱
読しまくります。それこそエロからミステリーまで手当たり次第に読みまくって、ついに
「その日」がやってきます。それは、ハーマン・ウォークという作家のマージョリー・モ
ーニングスターという作品との出会いでした。「ところがこれが、読みはじめたら面白くて
面白くてどんどん進みます。何日かかけて数百ページ読み通し、最後のほうになるとあま
りにも面白くて息がつまってきました。体がガクガク震えるほどで、これはもうとても読
んではいられないと思ったので、ちょっと風呂に入ってひと息ついてから最後の数十ペー
ジを一挙に読み終えました。」というわけです。
氏は言っておられます。「十八歳で上智大学の英文科に入学して、ちょうど二十年後。つ
まりは私は二十年かけて英語で読書のほんとうの面白さを知ったことになります。」
私は、このことばを読んで、深く感動し今までのヘンな英語に対する劣等感から解放さ
れると共に、ものごとの深みをしっかりと見極めずに性急におめでたい結果のみを求める
自分の浅ましい性根を深く恥じました。英語達人レベルの渡部氏をして、情念のレベルで
英語を捕らえるのに二十年かかったわけです。凡人の私には、下らないことに悩まず、日々
コツコツとテキストを少しづつでも、辞書を引き引きでも、読み続けること-そう、「続ける」
ことが一番大切なのだなぁと・・・
これは語学以外にも通じる普遍的な真理だと思います。下らない見栄を張ってコンプレ
ックスまみれになるのではなく、正直に自分のレベルと弱点を見極め、その時その時、自
分のするべきことを淡々とコツコツとやっていく-そうすれば、浅ましい評論家の出来損な
いのような連中には絶対に決して一生味わうことのできない、あふれんばかりの深い感動
のある世界に行き着くことができる-渡部氏の気負いのない文章からは非常に説得力を持っ
てそういったメッセージが伝わってきます。
やっと、私もちょっとだけ、地に足が着いてきたかな、という感じがする今日この頃で
す。私はアホなので、非常に多くの失敗を重ね、多くの代償を支払わねばなりませんでし
たが、若い読者の方々には、ぜひ、渡部氏の本を読まれて人生の糧としていただきたく思
います。私と同年代、もしくはそれ以上の読者の方々も、もう一度自分に「正直」になっ
てじっくり確実に歩んでいこうではありませんか・・・英語でも日本語でも実にコトバの
世界は奥深く感動に満ち溢れているのですから、これをトコトン味わい尽くさない手はあ
りません!本当に!!
それでは第一回目はこの辺で、次回も、引き続き関連したテーマで書かせていただこう
と思います。次回登場の秀人は遠藤尚雄(元ファナック常務取締役)、キーワードは「言語
係数」の予定です。乞うご期待!またね~!!
********
■今回のブックリスト
・渡部昇一 知的生活の方法 (講談社現代新書)
・同 楽しい読書生活 (ビジネス社)
・同 発想法(PHP研究所)→知的生活の方法の続編という感じ。現在手に入りや
すく非常にためになります。
・同 わたしの人生観・歴史観(PHP研究所)→氏の知的活動のガイドブックとい
う感じ。まずはこれから読むのも良いかもしれません。
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■著者プロフィール
福井哲也 1968年大阪生まれ 大阪外大2年次中退、渡米。ウィスコンシン大学を経て、
東部海岸の離島にある環境学専門のヒッピー系の大学(College of the Atlantic)を卒業
(B.A.in Human Ecology)。在学中アーカンソー州にて有機農業インターン。帰国後、自ら
の考えるエコロジー的ライフスタイルを実践しようと岡山県工業技術センター備前陶芸セ
ンターにて陶芸を学び、和歌山県山中に工房を構え8年ほどもがくが挫折。その後、大阪
高槻市のNPO法人の専務理事などを3年ほど務めるが、こちらも問題噴出で退任。
懲りない能天気中年♪

